9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

いきなり伸びる君たちは

タランチュラ的なウコンから、爪のように芽が出た話を覚えておられるでしょうか。

gotomiwa.hatenablog.com

その後の彼らをごらんいただきたく。

 

植えた後、上に向けて、きゅーっと伸びていったのですが、気がついたら、ひゃーっと開いていました。

いきなり、でした。

(すみません、手抜きのオノマトペで)

 

すぐに植えたのより、水につけておいて根が出たウコンのほうが、早く伸びました。

植えた培養土も違うので(違うお店で買った違う商品)「根を出したほうが…」といわないほうがいいのですが、我が家の現状はそうでした。

 

今、こんな感じ。

この後どうなっていくのか、観察したいと思います。

ひゃーっ、です。

 

ちなみに、その前の状態。

きゅーっ、の当時です。

突然切れてもキレずに対処

とりあえず自力で(検索しながら)解決できたのですが、また起こるかもしれないことなので、そのときのためにメモしておく記事です。

 

レーザープリンタとノートパソコンの連携が、ある朝起きたら(まさにそんな感じ)切れていました(夜中に何があったん!?)。

 

何度試しても、印刷ができないのです。

情報がプリンタに送られている感じがない……電波は「ある」(インジケータによれば)んだけど。

 

「困ったときは」的なのを引っ張り出したり、あちこち押したりしたところ、設定時とIPアドレスが変わっていることに気づきました。

なんで?

気が変わったん?

壊れたん?

 

不変だと思っていたから、プチ・パニックに。

 

まぁ、ルーターをいじったりすることでちょこっと変わったりはするらしいとわかったので(いじった記憶ないけど)新しい数字を入れ直しました。

それで、設定上は、ちゃんとプリンタがあるよってわかるようになったんですが、それでも印刷してくれない。

印刷機能がスリープ状態で、ジョブがない。

 

さらに検索して、パソコン側でもIPアドレスを確認することに。

こちらが思っている数字と、あちらが持っている数字が一致しないとダメなわけですね。

検索したとおりに新たなものを追加してみたら、どうにか連携が戻りました。

 

やったー!

 

……と、言いたいところですが。

なんと、「あれー? おかしいなー?」と思ってくりかえしていたせいで、印刷ジョブがたいへんな数に。

キャンセルする方法がよくわからず(結果的にわかったんだけど、うまく削除できず)、仕方なく残りのジョブは印刷してもらいました……(トナーがもったいない!)

 

何をどうしたらこうなったのかがわからないので、やっぱりまた同じことが起こるのかも。

次に連携が切れたとき、この記事を思い出し、キレずに対処できますように。

 

(連携回復作業の途中、まだ引退していないインクジェットプリンタで必要な文書を印刷したのですが、改めて比べてみると、黒々しているけど滲みも多くて……。ほんと、老いたんだね……長いあいだ、ご苦労さま)

ヤクルト1000がなくても

このところ、よく眠れませんでした。

ストレス、ですか?

 

「それはストレスのせいでしょう」

わたしの苦手な言葉です。(from「シン・ウルトラマン」)

なんというか……微妙に傷つくんです。

「ストレスかかってるね」といわれることが、ストレス……orz

 

それはともかく(原因が何であれ)よく眠れませんでした。

 

あいかわらず寝つきはいい……寝起きもいい……寝起きがよすぎて、一度目が覚めると「二度寝」ができない。

ゆえに、9時に寝ても1時台までしか眠れず、睡眠時間4.5……みたいな日がけっこうあって。

そんな日は夜も早く眠くなるので、午後8時過ぎにベッドに入る……早く眠ったぶん早く起きる……睡眠時間4.5……。

 

話題になった(今もなってる?)ヤクルト1000のことは、はじめ、娘から聞きました。

(話題になりすぎ、人気が出すぎて、めったに手に入らないとか?)

 

わたしは自分が「眠れない人」とは思っていないので、

「へー、そんなのが必要な人がいるんだー」

って気分だったのです。

 

長く眠れない日々が続いて、「そうか、わたしみたいな老女にもヤクルト1000が必要なのかもね」と思ったんだけど……そこで考えたわけです。

ヤクルト1000に入っているのが(化学的な)睡眠薬ではないのなら、有効なのは乳酸菌シロタ株と糖分ってことだよね?(知らんけど)

シロタ株は手に入らないけど、大きなくくりで「乳酸菌」ならいいんじゃない?

 

つまり、「腸内環境を整えろ」?

 

腸内が整っていないと感じることはないんだけど、単に自覚してないだけかもしれない。

そう思って、持っているけど思い出したときにしか飲まない乳酸菌の錠剤を、まじめに飲んでみることにしました。

(一日3回と書かれているけど忘れるから、多くて2回(^^ゞ)←ゼロよりはマシ理論

 

自己暗示かもしれないけれど、ちゃんと二度寝ができるようになった気がします。

(2時ごろに目が覚めても、すぐに再入眠。4時くらいまで眠れる状態)

 

関連があるかどうかは別として、乳酸菌摂取が無駄になるとは思えないので、しばらく続けてみます、一日1回でも。

 

そうそう、ヤクルト1000を飲むと悪夢を見るといわれています。

糖分なしの名もない(?)乳酸菌の場合は、どうなのかなぁ。

睡眠時間が長くなる分、夢を見る率も高くなるのが自然だと思うけど……。

最近はキムタクと共演してたりして(目が覚めてから「さっきの夢で一緒にいたのキムタクだったわ!」と気づいた)……夢を見るのもけっこう楽しいです。

 

www.yakult.co.jp

ちなみに「ヤクルト」という社名のもとになっているのは、エスペラント語のヨーグルト=Jahurto(ヤフルト)だそうな。

エスペラント語にはYがなくて、JがYの音を表します。だから、ジャフルトじゃないよ)

エスペラント語で1000は「mil(ミル)」なんだけど、ヤクルトミルミルは効果的にベツモノなのだろうか……(ひとりごと)。

2000年6月18日の日記

古い情報を探している途中で、ふと過去の……2000年の今日の日記を読んでみたら、びっくり。

つい最近、講評で書いた話題がしっかりと(?)語られていました。

このブログでも、チラッと書いたことがあるけど……

(わたしの幼稚園時代のエピソードです。もはや「持ちネタ」か……)

 

まさに6月18日か~と、おかしいから、そのままコピペします。

00年6月、ということは福島賞をいただいた年、デビュー作が出る前の時期ですね。

そして、日曜日だったらしい。→父の日

(以下、改行だけ直してあります)

 

・・・

 

父の日。例によって、な~んにもしないであろう(悪い娘&嫁で妻)。

昨日は、幼稚園の父親参観だったらしい。次女が卒園して以来、急速に、「幼稚園」が遠ざかりつつあるけれど、次女6才、人生の半分を園児として過ごしたというのは、すごいことかもしれない。

結局、自分の方が問題だったのだ、と思い出しているところ。

わたしは、幼稚園に入るころ、東京都心部に住んでいた。どのくらい都会(?)かというと、早起きして日本テレビの「おはようこどもショー」(の体操のコーナー)に出ていたほどだ。

(ということは、当時、生放送だったのね。ロバ君のステッカーや、先っぽを削る削り器つきのクレヨンセットをおみやげにもらっていた)

入った幼稚園はKといい、そのまままわりの子たちと同じに進学すれば、皇族のご学友になれたはず、という環境だった。

年長のときに、都内の別の場所に引っ越して、園も変わったのだが、「変わるなんてもったいない。車で送り迎えしてでも、通わせたらいかが?」と、母が他のお母さんにいわれるような、幼稚園だったわけだ。

わたしはもちろん庶民の子で、近かったからいっていただけなのだけど、遠くても子供を通わせたい幼稚園…だった(きっと今でもそうなのだろう)。

で、別に幼稚園自慢がしたいわけではなくて。

K幼稚園時代のことは、何枚かの写真と少しの記憶で確かめるしかないのだけれど、わたしには友達がいなかった。

いや、ほんと、上の行、フォントをおっきくしたいくらいなんだけど、「そう」だった…と思うのだ。だって、最後の日、先生が、

「今日が最後だから、みわこちゃんと遊んであげましょうね」

みたいなことをいったのを、なんとなく覚えているから。

それで、クラスの「お姉さん格」みたいな子が「遊びましょ」とそばにきたこと、今日だけ遊んでなんかほしくないや、と思って断わったことも、覚えている。

話の流れとして、先生がアドバイスしなければならないということは、「みわこちゃんと遊ぶ子がいなかった」という証拠だと思う。

それが、「未来のご学友」(?)みたいな子が集まっているK幼稚園だからか、どこの幼稚園に通っても友達が作れなかったのかは、わからないけれど、(新しく行った保育園では、友達がいたような気がするけれど)自分の経験した唯一の「現実」がそれだったわけだ。

でも、行きたくないと駄々をこねた記憶がない。なぜだろう。

わたしが今、その幼稚園に通っていたら、友達も作れずにいるなんて、かなり居心地悪いと思うのだけれど。

駄々はこねたけど無視されたのか、そういうものだと思っていたのか…。

何を感じ、考えて、いたんだろう、あのころの自分。

別に、上の話に「結論」を出したいわけではありません。

「幼稚園時代なんて短いんだから、ひとりぼっちでも大丈夫」とか

「幼稚園時代に友達を作れないような子はその後も苦労する」とか

「登園・登校拒否についての一考察」とか

全然ないです(^^ゞ

自分の次女との「関連」も、考えていません。

でも、ひとつ、推理はしています。

今、母が、「あんたは幼稚園に友達がいなくて、行くのをいやがってたねぇ」といわないのは、わたしが「普通に」登園していたからじゃないかな、と。

(だって。次女の「登園拒否」のことは、後々も話のタネ???にすると思うから)
友達のいない幼稚園で、幼児のわたしが何をしていたか。

きっと、「空想遊び」だと思う。

そうでもしなきゃ、「間が持たない」もの。

わたしはずっと、

「現実の生活に満ち足りている人は、物語を書こうとなんてしない」

と、思っています。

かといって、「不満の捌け口」として作られた物語も見たくないけど。

(どろどろしていそうだから)

わたし自身、別に「満ち足りていない」わけではないです。

たぶん、「ほんのちょっとしたこと」なんだと思う。

「そうだったらいいのにな」という歌が、「おかあさんといっしょ」に出てくる。

「サンタクロースつかまえて、うちだけ毎日クリスマス、そうだったらいいのにな…」

なんていう歌詞ですが、そんな感じ。

幼稚園時代のわたしを思い出してみると、わたしが小説や童話を「書きたがる」のは当然、というか、あのころから「今」が決まっていたような気がします。

(厳重注意:「書きたがる」と「書ける」はちがうからね)

わたしは中学・高校時代、非行に走るひまがなかった。

小説を書いて(チョー下手だったけど)徹夜はした。

自殺の計画も立てた(結婚問題で親ともめて、24にもなって、だよ(^^ゞ)けど、死んだら書けんと思った。

きっと、「幼稚園がいや」と考えるとこまでいけなかったんだと思う。

途中で「空想」につかまって。

 

(以上)

「け」か、「か」か。

ブログでもtwitterでも、いや、リアルで初対面の人にまでも、最近は、

「童話(児童文学)創作の添削講師をしています」

と、自身について説明しています。

 

以前なら「作家です、講師もしています」という感じだったのに。

 

実際、コロナ禍になって以来(※1)、自身の作品はほとんど書いていないし。

(ゆえに出版もしていない……今は「ボツ」になってるんじゃなく、書いていないんです。かつてはボツも多かったんですけども)

 

 (※1)たまたまかもしれないけど、この数年、添削の受講生さんが増えている、というか熱心さが増しているというか、月あたり、以前の倍くらいの件数(枚数)の講評を書くのが常態化しました。

 

「えー。書かないんじゃなくて、書けなくなったんじゃないのー?」

と、意地悪な人には言われちゃうかもしれないし。

「書く機会がないなら、まぁ、書かなくてもいいかなー」

と、わたし自身、(書けないのかもという)危機感がなかったし。

そうこうしているうちに「創作脳」は萎縮していくのかもね、くらいに思っていました。

(作家としては、マジで危機感ないですね、自分でもびっくり)

 

でも、お約束している創作仕事はありまして。

その件で担当者さんとやり取りをしたら、いきなり、パーーッと見えて(それをメモして)草稿ができてしまった。

 

よく「プロットは書くべきか」みたいな話題が出るけど、わたしの場合、普段は「書かない」のです。

短編なら全部脳内に見えるから……歴史年表みたいに。

(以前は、50枚の作品までなら見えたなー。今はわかりません)

それを文字で書き起こすのが「面倒!」という意味で、プロットが書けないし、書かないのです。

 

仕事では、それを編集者さんにプレゼンしないといけないので、プロットは書けたほうがいい……書けないと仕事がしづらいんですけども。

(「おれの目を見ろ」的に、脳内をのぞいてくださいとは言えないしね)

わたしが「プロットが書けない」というと、行き当たりばったりで書いているのか? と誤解されることもありますが……まぁ、それに近い場合もありますが(※2)たいていは脳内にあります。見せられなくて、残念。←??

 

 (※2)4巻組の「ボーイズ・イン・ブラック」のラストが「見えた」のは2巻を書いているときであった……

 

話がどんどこ逸れていますが。

今でも、刺激を受ければ創作脳がパーーッとまわりだすのだとわかって。

脳内ではじまった「初めて見るお話」が楽しくて。

 

わたし、童話を書「け」なくなったわけじゃないな、今は書「か」ないだけなんだなと……なんとなくホッとした、という記事です、これは。

まず、「外身」がない…

今週のお題「本棚の中身」

 

ですって。

はてなブログのお題を見たとき、しみじみと「こんなはずでは」と思った……

 

これまでも書いたことがある気がするけど、わたしの若いころの夢はウォークインクローゼットならぬ、ウォークイン書庫(日本語交じり)を作り、

クリスティの赤い背表紙をずらーーーーっ。

フランシスの緑の背表紙をずらーーーーっ。

マクベインの黄色い背表紙を……

これらはとりあえずハヤカワのミステリ文庫ばっかりだけど、とにかくそういう本棚を作りたかった。

そういう本棚が並んだ部屋を。

(もちろん、そこにはコミックスの棚もある。萩尾望都をずらーーーっ、秋月りすをずらーーーっ、深見じゅんを…………)

 

結局「夫の実家に同居する嫁」になり、実質「居候」なので、そういう本棚はほとんどない。

正確には「サザエさん」などがずらーっと並んだ文庫用のカラーボックスがひとつあるけども、「部屋」なんて……。

 

本棚の中身の話をしたくても、外身(本棚自体)がないじゃん。

 

本棚がないどころじゃなく、最近はほとんど「本」を読んでいない。

「サピエンス全史」……むっちゃおもしろいのに上巻の途中で止まっている。

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」……むっちゃおもしろいのに下巻の入口(玄関上がってスリッパ履いたあたり)で止まっている。

料理本(文字少ない)だって、全部読まずに写真だけ眺めて置いてたりする(←作らないのか?)。

 

児童文学に至っては、協会新人賞の選考のために(選考委員だったんです)春に数十冊読んだだけ……友だちの新刊の「存在」さえ知らなかったりする。

ごめんなさい。

 

そういう状態なのに、「日々何か読んでる」気がしているの。

いや、気がするだけじゃなく、読んでいるの。

受講生さんの作品を。

時期によっては大量の「応募作」を。

それらが脳内(狭い)を占拠していて、自分の作品にさえ戻れない日々がある……。

 

 ※初めてここをごらんになる方へ。

  gotomiwaは童話・児童文学の通信添削講師です。

 

受講生さんの作品は受講生さんのものだし、添削を受けているということは「完成品」じゃないわけで、ある意味「書いてる途中の状態」です。

そんなものを他人(わたしね)に覚えられているのもイヤだろうと思い、覚えておかないことにはしています。

覚えておかないようにはしているのだけど、勝手に覚えちゃっている(忘れられない)作品も多々あるわけで……。

 

わたしの脳内には、本棚ならぬ「(人さまの)原稿棚」ができている感じです。

完璧に思い出せるわけじゃないから、「原稿(の断片)棚」と呼ぶほうが近いかな。

 

これから数年、そういう日々が続く(っていうか、増える?)ことになりそうなので、棚も増やす必要があるかもしれません。

ニトリにもIKEAにも売ってないけどね。

新幹線の予約をしてみた

先月末の総会で、ご承認いただきました。

今期も、日本児童文学者協会の理事を務めさせていただきます。

 

ちっとも役に立っていない理事なのですが……。

選挙で後藤に票を投じてくださったみなさま、ありがとうございました。

(ここでいっても聞こえないかなー)

 

上京しない生活に慣れきってしまったので、今後は理事会もリモートでしか参加しないぞと心ひそかに決めていたのですが(←ちょっとウソ。公言してた)。

そうもいかないみたい……

新幹線の乗り方を予習しておかないと。

(わたしが乗らずにいる間に、いろいろとサービスが変わっているようなので)

 

そう思って、来月の理事会の日の切符を予約してみました。

ノートパソコンで予約サイトを開いたことがないので、会員IDを調べるところから。

どうにか設定ができました。

予約もできました。

7月中旬(早い人は夏休み?)のせいか、けっこう席が埋まってました。

 

無事に乗って、無事に着けるといいな。

道、覚えてるかな……

 

児童文学に疎いし、理事という立場には絶対向いてないとわかっていますが。

恐縮しつつ、がんばってみます。

理事のみなさま、協会員のみなさま、お友だちのみなさま、そして児童文学を志すみなさま、引き続きよろしくご指導ください。