蔵書印のことを書いた昨日、久しぶりに「ふたりのロッテ」を読み返しました。
時間的に半分も読めなかったのだけど、なぜか最初のほうから、涙が出て出て……
涙を拭くのが面倒になるくらいでした。
どうしちゃったんだろ?
で、違和感もあったんです。
「そんなに『久しぶり』じゃない」
って。
思い出しました。
というか、忘れてるのってどうなの!?
2016年に「ふたりのまゆか」という短編を書いています。
「本当にあった?」という「?」つきの作品の依頼で、アンソロジーに入れていただきました。
(ここでの「アンソロジー」は複数の作家に依頼して作品を集めた本。発表済みの作品を集めて一冊にする場合もあると思いますが)
「ふたりのまゆか」も自身の高校時代の体験がベースになっています。
なぜか(自分たちはそう思っていないのに)まわりに「そっくり」といわれる同級生がいまして。
彼女の後輩さんなんか、まったく区別ついてなかったよね…。
作中に「ふたりのロッテ」が登場し、主人公は「この本、嫌い」とかいうんですけど、もちろん、それは主人公の(彼女なりの理由があっての)発言です。
わたしは自分のことを、ずーっと、
「存在感のないやつ」
と思っているのですが、高校時代の体験にも原因のひとつがあるのかも。
だって、いつも「わたしが」「彼女に」似ているといわれてきたから。
それがベースになった(でも、ストーリーは創作です)「ふたりのまゆか」。
図書館等でごらんになったら、「これか」と思ってやってください。
(アンソロジー=一冊の中の短編一作=とはいえ、PHP研究所でお仕事をさせていただいたことがあるのも忘れていたわけで……ごめんなさい!)