先日のブログ(末尾にリンク)と同じようなタイトルですが、別の仕事です。
書いている最中には「自分に許してしまう」のだけど、やっぱり引っかかっているんだと思う。
お風呂掃除の最中に(←これはよくあること)「あ、あかん、あれはあかん」と思いついたことがあるのです。
まぁ、一度書いたシーンを書き直そうってことなんだけども。
なぜだろう、最近のわたしは、ついつい「ぬるく」「ゆるく」書きがちなのね。
たとえば…あくまでも例ですが…主人公の母が死にそうだという設定にしたいのに、「母親が死んだらたいへんかなぁ、同様の境遇の読者さんにはきついかなぁ」とか考えてしまって、
「母の従姉が死にそう」
みたいに変更する感じ(これだって、人が死ぬわけですが)。
よけいなこと、考えすぎ。
その人物にとって「真実」なら、書けばいい。
もちろん、真実に見えるように書く必要があるけども。
たぶん、こういうときブレーキがかかる原因のひとつは、わたしの実母が現役会社員だからじゃないかな。
「死」なんて身近なものとして書いたらいかん、そんな気持ちが働くのかも。
でも待て、わたし、思い出せ。
もう20年くらい前、実父が手術(麻酔)ミスで死にかけたことがある。
母から動揺した電話をもらい、わたしも動揺して病院名が正しくメモれず(ケータイも普及しきってなかったころです)、やっと最寄り駅に着いてタクシーに乗ったら「いいの? 駅の裏側(すぐそこ)だよ?」みたいに言われ……
着いたら、父はぴんぴんしていて、「地獄の三丁目の電柱まで行ってきた」と笑っていたっけ(現在も存命です)。
そのとき、「こういう(ドラマみたいな)ことってわたしにも起こるんだ!」と深く思い、その気持ちをぶつけて書いた児童小説が、99年の「国民文化祭ぎふ」で優秀賞だった…
(ってことは20年以上前だわ)
つまり……
「誰かに起こるドラマチックなこと」を書かないで、何のための小説かよ。
こんなことも起こるんだと断言して、表現しきるしかない。
おまえは、その世界の神だろ?
神になりきれ。
覚悟を持て。
と、お風呂場で、スポンジ片手に気づいたという話です。
原稿、書き直そうっと。