来年は(っていうか、今日からでもいいんだけど)掌編小説にトライしようと思っています。
理由は「すっごくおもしろそうだから」。
単純。
掌編小説の定義はわたし自身よくわかってないけど、新聞なんかに「広告のフリした短い小説みたいなもの」が載ってたりするでしょう?
いや、あれは短い小説のフリをした商品の広告、かな。
とにかく、そんな感じの。
実は、ショートショートの講座に通うことも検討していたのです。
(講師の方と、先日無理やり名刺交換しました。その節は本当に失礼しました。おはずかしい…)
これもいつか実行するかもしれないけど、その前に。
ひとりでコツコツ書いてみたい、掌編小説を。
なぜそんなことを思いついたかというと、今、読書会で読んでいるから。
読んでいるから、っていうとカッコよさげですが、エスペラント語オリジナルなので、辞書引いてやっと意味が分かる程度、なんです。
「味わっている」とはいいがたい……けど、すっごくおもしろい。
いやいや、この「すっごく」には、意味がわかったときの謎解き的爽快感がプラスされているぞ。
そういう話だったのか! みたいな。
はじめから日本語で読んだ場合に「すっごく」と感じるかどうかは、わたしにもわかりません。
でも、「こういう作品もありか!」と思ってしまったんですよね。
同じ作者の掌編をまだ5つくらいしか読んで(解読して)いないのにそう思うってことは、それなりに「ビビッと来た」ってことじゃないかな、と。
まぁ、現時点(仕事の期限前)では「若干、現実逃避かな」という気もしますけれども。
日常的なささやかな話題を頭から取り出すために使うのがtwitterやブログなら、日常的なちょっとした空想を頭から取り出す場所があってもいいよなぁ、なんて思うのです。