普段通らない道を自転車で走ったら、その木がとても美しく見えたので、近づいてペダルを停め、スマホのカメラを向けました。
これは木蓮?
花は散りかけて、葉っぱが出かけているところ、かな。
こう書くと「終わっちゃった感」がありますけど、花びらと若葉のコントラストが美しい今の姿も充分「見ごろ」だと思いました。
いつもの年ならこの木を……満開の木蓮を愛でる人がいっぱいいたはずなのにね。
(生えているのは昨今の事情で一時的に閉鎖された、とある施設の敷地だからです)
そう思ったけど、あとで改めて写真を見て、思い直した。
木蓮は(桜も藤も紫陽花も…)人に愛でられるために咲くわけじゃない。
「満開のわたしを見てもらえなかった」なんて悲しむことはないよね。
見る人がいなくも花は咲く。
粛々と、咲いて散る。
それぞれの理由、それぞれのリズムで。