このところ、自分でも驚くほど「もったいない」という言葉を書き続けたので、脳内整理を兼ねて。
書き続けたのは「添削講評の仕事で」なんですけど、そういいたくなる作品にいくつも出会ったから。
「マイブーム」というわけではないのです。
「ああ。これ、伏線張っとけば、読者はドキッとできたのに」と惜しむとき。
「ここ! 会話を切って、ふたりで目を合わせる演出がほしい」と悔しいとき。
そのように書かないなんてもったいない、と思うのです。
わたしは文学が苦手ですが、「文学」という言葉そのものも、使うのが苦手です(国語の成績もよくなかったしなー)。
事情が許す限り、児童「文学」作家と呼ばれるのを避けているほど。
それなのに、「ああ、もったいない」って気持ちのときはいいたくなるの。
「もっと文学しようよ」って。
なんでだろ?
実際は「文学しよう」とはいいません(書きません)。
でも、そんな気持ちで「ここで驚かせることができるのに、もったいないですよ」っていうのです。
白い紙の上に、黒い文字を組み合わせた言葉を並べるだけ…。※
この条件は、みんな同じです。
ベストセラー作家さんだって「白い紙に黒文字」でしょう?(色とりどりに印字した原稿にすれば売れる、とかじゃないはず)
なのに、読んだときに感じるものは違いますよね。
(※ 児童書なら、できあがった本の多くに挿絵がありますが、挿絵を描いていただくためにも、まずは文字の並びでその場の状況を伝えなくてはいけないのです)
文法的に間違ってない、意味がわかればいい、というだけじゃなくて、「ハッ」とか「ドキッ」とか、してもらえるほうがいいと思うんだけど、どうですか?
文字を(文を)並べて「世界」を創る作業を、もっと楽しみましょうよ。
これ、面倒で苦しい作業でもありますが。
・・・
これから、もっともっと「もったいないよ」って話をしていこう、と思います(マイブーム化?)。
「あ、そうなんや、遠慮せんでええんや、ワシの文学魂に火をつけたろ」と思って、受講生さんがもっと言葉(の組み合わせ)を考え、使ってくれたらうれしいし。
そういう作品を読めたら、わたしが楽しいし。
(わたし、講師ですが、読者のように楽しんでいることが、ままある)
そして、わたし自身は講師として、「もったいないよ」のひと言じゃ伝わらない思いを懸命に「講評」と呼ばれる文章にしていかねば……。
講評も「白い紙に黒い文字」ですからね(TT)←泣く?
お互い励みましょう。