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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

ミトコンドリアが跳ねまわる

これはわたしの性格(性質)由来の話なので、「人は」「作家は」「物書きは」という主語ではないことを先にお断りしておきます。

 

最近ちょっとした出会いがあって、「あ。」と気づいたのです。

わたし、自分の作品を(または自分が書いているジャンルやレーベルを)誉めてくれた人や「好き」といってくれた人のことは忘れないんだなって。

 

何年たっても(十年以上たっていても)「●●さんが誉めてくれた」「この人はわたしの作品を好きといってくれた」みたいなことが……そのときの「喜び」が思い出せるのです。

その人のことを好きになったりもするくらい(どんな人かよく知らないのに)。

 

翻って、まったく逆の反応をくれた人のことも忘れないなぁ。

 

わたし自身(や作品)が、直接批判されたのではない場合も。

たとえば、自分が書いている○○というジャンルについて、どこかで「○○なんて、読んでも楽しくない」みたいなことを論じているのを見たら、

「批評のふりして『個人の感想』を書いたらあかんやろ」

って思うし、その人の肩書きが「評論家」なら、「評論家としてどうなの?」と思うし、その人の名を忘れない……

「根に持つヤツだ」といわれてもしかたないくらい。

どこかで会ってもニコッと笑ってスルーしようって思う……そんな感じ。

 

わたしって、こんなふうなんだ。←赤裸々告白(^^ゞ

細胞レベルで、感情が刻まれるのかもしれません。

 

・・・

 

一方、講師としてはどうなんだろ。

 

「gotomiwaはやたら誉める」みたいに言われることが(よく)あるんだけど。

「ガンガン貶したら、根に持たれる。ニコッとスルーされる」って怯えて、ゴマを擦っているわけではないのです。

わたし自身に、「批判されてこそがんばれる」というナニクソ的な回路がないんでしょうね。

「この味がいいね」っていわれたらサラダ記念日に認定しちゃうように、誉められたほうが力が湧くし、誉められた部分が「伸びる」と感じているから。

っていうか、自分がそうだから、だな。

 

「不得意」を克服するより「得意」を伸ばせ、みたいにいうじゃない?

誉められた部分をさらに磨いていけば、「誉められなかった部分」も一緒に……「つられて」よくなっていくんじゃないかな、とも思ってる。

 

もちろん、ただ誉めてるばかりではありません。

マイナスの要素についても、話すよ。

でも、「読んでも楽しくない」みたいなことはいわない。いう気がないです。そんなの、手抜きだよ。

「この味がよくないね」というときは「理由」も添えている……つもり(伝わってなかったら、ごめんなさい)。

「これはわたしの感想に過ぎないけど」と前置きして、個人的な感覚を話すこともあります。

 

とにかく。

相手が誰であれ(講師であれ合評仲間であれ)「ここがいいね」という指摘はエネルギーの源になると思うんだけどな。

ミトコンドリアが跳ねまわる感じ、しませんか?