今年はどのくらい講評を書いているかなと、思い立って数えてみました。
「連続講座の課題として」
「まるごとの作品を拝見して」
お預かりする原稿用紙の枚数は違っても、講評の枚数はそんなに変わりません。
「公募スクールのもの」
「児文協関係」
「個人的にお請けしたもの」
どのルートから届いても作業工程(?)は同じです(返送の仕方が違うことはあれど)。
全部合わせると、8月分までで150件を超えていそうです。
(総枚数は、怖いので計算しません)
この仕事を始めるまで、こういうこと(人さまの作品を読んで「何か」いうこと)は、どちらかといえば「好きじゃなかった」のです。
今だって、原稿がドンと目の前に置かれると、「たいへんだ」「どうしよう」みたいな気分になったりします。
でも、読みはじめたら同時に添削できるし、読み終えるまでには「講評の骨子」ができている……
どう見ても「好き」だよね、これが。
単なる「慣れ」かもしれないけど、慣れるためには時間(回数)を費やす必要があると思うから、それができるってことは「好き」なんだろう。
怠け者のわたしなので、「好きじゃなきゃできない数」だとも思う……
もしかしたら、いずれ(いつよ?)「添削技術」みたいなものが確立するかもしれない。
でも、それを伝えることができない……っていうか、伝えられたとしても需要がなさそう。
「創作技法」を知りたい人は大勢いても、「添削技法」を知りたい人はいないと思うから。
一代限りで消える技術を磨くわたし。
そう考えると笑えるし、萌えるのです( *´艸`)