今週のお題「好きなお茶」
ですって。
これを見たとき、反射的に思い出したのが「作者が飲んでるいつものあれ」というフレーズでした。
(厳密にいえば「お茶」ではないのだけど)
アマチュア時代に書いていた……というか、今でも続きを書きたい(No.92で止まっている)シリーズのオフセット本だったと思うけど……どの本か忘れてるけど……当時、日常的に愛飲していた飲み物を紹介した記憶があります。
それが、ホットモカジャバ。
「ホットモカジャワ」とも呼ばれていたので、どっちが正しいのかなぁとググってみたら(「ジャバ」も「ジャワ」も同じ地名の読み方違いみたいですね)……なんと!
今では「カフェモカ」と呼ばれているらしいです。
(ほぼ同じものってことなのかな?)
ざっくりいえば、チョコレート(ココア)入りのコーヒーです。
わたしはインスタントコーヒーにインスタントココアを混ぜてミルクで割る、みたいな作り方をしていました。
(モカジャバとかカフェモカって呼ぶな、と叱られてしまいそうな雑さです)
でも、この記事の「本題」はそこではないの。
「作者が飲んでる…」の「作者」っていう言葉が妙にはずかしくて。
このフレーズが浮かんだとき、身悶えしそうだった…。
確かに作者だし、この語にはプロアマの区別はないのだし、だから「作家ぶっていた」と感じて、はじているわけではないのだけど…。
そうですね、これ、「はずかしい」じゃなくて「なつかしい」に「むずむず」が添加された状態なのかも。
誰がなんて言っても(誰も何も言わないけど)わたしにとっては本当に大切なものなので。
自分が「生み出した」(作者である)というより、自分がそれに「生かされた」みたいな気持ちがあるんですよ。
原稿用紙換算したら、万単位書いてると思うしね。
人生の一部ですよね。
っていうか、それがわたしの「本質」なんだろうな。
その土台の上に、仕事(で書いた作品)が「乗ってる」感じ。
そんな作品群も、もうほとんどは紙にプリントアウトしたものしか残ってない。
ワープロからパソコンへの移行期に書いて、テキストデータがあったものと、読者さんにデータを作ってもらえた一部の作品はネットにアップ済みだけど。
大半は、紙。
たぶん、かなりダメになっているんだろうなー。
修正部分の切り張りとかあるし、物質として劣化してると思うのね。
いずれ読めなくなるはず…。
スキャナが元気なうちに、できるだけスキャンしておこうかな。
もしかしたら、それはわたしの残りの人生の大事な作業(大げさ?)になるかもしれません。
…なんてことを、モカジャバのおかげで考えているわけです。