昨夜のミーティングでその話題になって、創作のための「勉強」って何だろう、どうすればいいんだろうというのを、改めて考えています。
わたしが「物語を書けるようになった(質は問わない(^^ゞ)」のは、いつ、どうしてだろう?
小三のとき、童話を書く真似事をした。
中一のとき、ジュブナイルSFを書く真似事をした(400字詰め原稿用紙に、数枚の)。
初めて「小説を書く」と自覚した状態で書いたのは中二で、あとから見直すとそれは「あらすじ」に過ぎなかった。
高校生のときは「コバルト」の賞に「応募するする詐欺」だった。
書き上げる能力がなかったから。
実際に応募したのは成人後で、ビギナーズラック的に最終に残ったけど、のちに読み返すと、吐きそうなくらい下手だった。
いちばんいやなのは……自己嫌悪したのは「ひとりよがりな記述」。
自分の中には「見えている」、なのに、その一部しか情報を出さない(文中に書いていない)から、読者にとっては「なんのこっちゃ?」だったりして……。
今でも、「ひとりよがり」という言葉が、トラウマ級につらいほど。
(ゆえに、受講生さんにもいわないようにしています)←別のいいまわしを考える
そういうことをずっと続けてきて(全部書いたら自叙伝一冊分になるので省くけど)「童話」を書いてみようとなったときは、さすがに「勉強」したかも。
見様見真似で「こんな感じだろ」と書いたものは落選するばかりだったから、「それじゃダメなのかも?」と気づいて。
通信講座も体験したし、いろんな童話作家の「創作作法」も読んだし(童話に限らず、もともとそういう本を読むのが好きだった……「ミステリの書き方」とかね)。
それらが自分の中で混合・化合をくりかえしていくうちに、なんとなく書けるようになったんだと思うんだけど…。
基本的なことは、中学あたりから変わっていないのです。
まず脳内に映像があって、それを文章に変換していくの。
(文章力に乏しいころは、だから「あらすじ」になってしまった)
今、講師として、「絵にならない文章」には、ひじょ~~~に厳しいです。
いえ、別に、叱ったりするわけじゃないですよ。
ホントよ。
「しっかり思い浮かべてから書きましょう」といっているけど、可能なかぎり、一度書いたものを(書かれたとおりに)思い浮かべて「確かめ算」をしてほしい。
「それ、後ろに目がついてないと無理」
「このキャラの手は何本あるのか」
みたいなミスにも気づけます。
文法的に正しいだけじゃダメなのよ。
「黄色い紅薔薇」は形容詞+名詞で、一応正しいけれど。
それ、絵に描けますか? ってこと。
(なんて話が、受講生さんにとっての「勉強」になっているといいな……)