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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

創作の「勉強」

昨夜のミーティングでその話題になって、創作のための「勉強」って何だろう、どうすればいいんだろうというのを、改めて考えています。

 

わたしが「物語を書けるようになった(質は問わない(^^ゞ)」のは、いつ、どうしてだろう?

 

小三のとき、童話を書く真似事をした。

中一のとき、ジュブナイルSFを書く真似事をした(400字詰め原稿用紙に、数枚の)。

初めて「小説を書く」と自覚した状態で書いたのは中二で、あとから見直すとそれは「あらすじ」に過ぎなかった。

 

高校生のときは「コバルト」の賞に「応募するする詐欺」だった。

書き上げる能力がなかったから。

実際に応募したのは成人後で、ビギナーズラック的に最終に残ったけど、のちに読み返すと、吐きそうなくらい下手だった。

 

いちばんいやなのは……自己嫌悪したのは「ひとりよがりな記述」。

自分の中には「見えている」、なのに、その一部しか情報を出さない(文中に書いていない)から、読者にとっては「なんのこっちゃ?」だったりして……。

今でも、「ひとりよがり」という言葉が、トラウマ級につらいほど。

(ゆえに、受講生さんにもいわないようにしています)←別のいいまわしを考える

 

そういうことをずっと続けてきて(全部書いたら自叙伝一冊分になるので省くけど)「童話」を書いてみようとなったときは、さすがに「勉強」したかも。

見様見真似で「こんな感じだろ」と書いたものは落選するばかりだったから、「それじゃダメなのかも?」と気づいて。

通信講座も体験したし、いろんな童話作家の「創作作法」も読んだし(童話に限らず、もともとそういう本を読むのが好きだった……「ミステリの書き方」とかね)。

 

それらが自分の中で混合・化合をくりかえしていくうちに、なんとなく書けるようになったんだと思うんだけど…。

 

基本的なことは、中学あたりから変わっていないのです。

まず脳内に映像があって、それを文章に変換していくの。

(文章力に乏しいころは、だから「あらすじ」になってしまった)

 

今、講師として、「絵にならない文章」には、ひじょ~~~に厳しいです。

いえ、別に、叱ったりするわけじゃないですよ。

ホントよ。

 

「しっかり思い浮かべてから書きましょう」といっているけど、可能なかぎり、一度書いたものを(書かれたとおりに)思い浮かべて「確かめ算」をしてほしい。

「それ、後ろに目がついてないと無理」

「このキャラの手は何本あるのか」

みたいなミスにも気づけます。

 

文法的に正しいだけじゃダメなのよ。

「黄色い紅薔薇」は形容詞+名詞で、一応正しいけれど。

それ、絵に描けますか? ってこと。

 

(なんて話が、受講生さんにとっての「勉強」になっているといいな……)