いつかgotomiwaの「教室」を作りたい。
と、思っているのです。
(それは、塾と呼んでも講座と呼んでもいいんだけど)
そして、「いつか○○したい」といっているうちはダメ……「いつか」なんていう日は来ないと、ということも知っているのです。
(デビュー宣言のとき、そう思いました。実際「いつか」をはずしました)
で、もう少し具体的に考えようと思って。
「わたしは、添削講評が好きじゃ好きじゃといっているけど、その仕事のどの部分が特に好きなのか?」
って。
話は逸れますが、「添削講評が好き」というと、こんなふうに思われることがある。
「人に偉そうなことをいえるからでしょう?」
センセイとして威張りたいんでしょ、みたいなことね。
いや、わたし、威張り方がよくわからない……っていうか、あごを上げて鼻の穴を拡げて「エッヘン」ということくらいしかイメージできないんだけども。
それでも、これまでにわたしの添削を受け、講評を聞いてくださったみなさんの中に、
「gotomiwaって、クソ威張ってる(怒)」
と思う方があっても、それはしかたないよなー。
こちらが威張ってるかどうかではなく、あちらが「威張られた」と感じることのほうが、その人にとっては「正しい」んだもんね。
話を戻しますと。
わたしサイドから見れば、「添削講評が好きなのは威張れるから」ではないわけです。
話が長くなるからいろいろすっ飛ばすけど、先日設定したマシュマロのかわいいマシュマロさんを見ていて気づいたの。
これ自体は、コミュニケーション練習のつもりだったんだけど……。
わたし、どうやら質疑応答が好きらしい。
Q&Aですね。
ただし、リアルタイムではうまくいかないことも多い(講演とか教室とかでの質疑応答タイムに、ズバッと答えられたためしがない……気がする)。
でも、通信添削講座で受講生さんから質問をいただくのは大好きで、それに答えるのも好きでたまらない……っていうか、講評より先に回答から書いちゃうこともザラなほど。
そんなこんなで、質疑応答(非リアルタイム)に特化した教室はどうかなぁなんて思っているわけです、現時点では。
それなら、公募スクールや児文協の通信講座ともかぶらないし。
受講料的なものは発生しないし。←発生させるべき? 無料=無責任に見える?
(zoomの対面講座も「できれば」と考えているんだけど、これはお互いの時間を合わせるのがけっこうたいへんだし、「受講料なし」はよくない気がするので、設定がむずかしいの……)
こうして言葉にしつつ、もうしばらく考えてみます。
ほんと、六十路になっても夢多すぎ(^^ゞ