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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

2000年6月18日の日記

古い情報を探している途中で、ふと過去の……2000年の今日の日記を読んでみたら、びっくり。

つい最近、講評で書いた話題がしっかりと(?)語られていました。

このブログでも、チラッと書いたことがあるけど……

(わたしの幼稚園時代のエピソードです。もはや「持ちネタ」か……)

 

まさに6月18日か~と、おかしいから、そのままコピペします。

00年6月、ということは福島賞をいただいた年、デビュー作が出る前の時期ですね。

そして、日曜日だったらしい。→父の日

(以下、改行だけ直してあります)

 

・・・

 

父の日。例によって、な~んにもしないであろう(悪い娘&嫁で妻)。

昨日は、幼稚園の父親参観だったらしい。次女が卒園して以来、急速に、「幼稚園」が遠ざかりつつあるけれど、次女6才、人生の半分を園児として過ごしたというのは、すごいことかもしれない。

結局、自分の方が問題だったのだ、と思い出しているところ。

わたしは、幼稚園に入るころ、東京都心部に住んでいた。どのくらい都会(?)かというと、早起きして日本テレビの「おはようこどもショー」(の体操のコーナー)に出ていたほどだ。

(ということは、当時、生放送だったのね。ロバ君のステッカーや、先っぽを削る削り器つきのクレヨンセットをおみやげにもらっていた)

入った幼稚園はKといい、そのまままわりの子たちと同じに進学すれば、皇族のご学友になれたはず、という環境だった。

年長のときに、都内の別の場所に引っ越して、園も変わったのだが、「変わるなんてもったいない。車で送り迎えしてでも、通わせたらいかが?」と、母が他のお母さんにいわれるような、幼稚園だったわけだ。

わたしはもちろん庶民の子で、近かったからいっていただけなのだけど、遠くても子供を通わせたい幼稚園…だった(きっと今でもそうなのだろう)。

で、別に幼稚園自慢がしたいわけではなくて。

K幼稚園時代のことは、何枚かの写真と少しの記憶で確かめるしかないのだけれど、わたしには友達がいなかった。

いや、ほんと、上の行、フォントをおっきくしたいくらいなんだけど、「そう」だった…と思うのだ。だって、最後の日、先生が、

「今日が最後だから、みわこちゃんと遊んであげましょうね」

みたいなことをいったのを、なんとなく覚えているから。

それで、クラスの「お姉さん格」みたいな子が「遊びましょ」とそばにきたこと、今日だけ遊んでなんかほしくないや、と思って断わったことも、覚えている。

話の流れとして、先生がアドバイスしなければならないということは、「みわこちゃんと遊ぶ子がいなかった」という証拠だと思う。

それが、「未来のご学友」(?)みたいな子が集まっているK幼稚園だからか、どこの幼稚園に通っても友達が作れなかったのかは、わからないけれど、(新しく行った保育園では、友達がいたような気がするけれど)自分の経験した唯一の「現実」がそれだったわけだ。

でも、行きたくないと駄々をこねた記憶がない。なぜだろう。

わたしが今、その幼稚園に通っていたら、友達も作れずにいるなんて、かなり居心地悪いと思うのだけれど。

駄々はこねたけど無視されたのか、そういうものだと思っていたのか…。

何を感じ、考えて、いたんだろう、あのころの自分。

別に、上の話に「結論」を出したいわけではありません。

「幼稚園時代なんて短いんだから、ひとりぼっちでも大丈夫」とか

「幼稚園時代に友達を作れないような子はその後も苦労する」とか

「登園・登校拒否についての一考察」とか

全然ないです(^^ゞ

自分の次女との「関連」も、考えていません。

でも、ひとつ、推理はしています。

今、母が、「あんたは幼稚園に友達がいなくて、行くのをいやがってたねぇ」といわないのは、わたしが「普通に」登園していたからじゃないかな、と。

(だって。次女の「登園拒否」のことは、後々も話のタネ???にすると思うから)
友達のいない幼稚園で、幼児のわたしが何をしていたか。

きっと、「空想遊び」だと思う。

そうでもしなきゃ、「間が持たない」もの。

わたしはずっと、

「現実の生活に満ち足りている人は、物語を書こうとなんてしない」

と、思っています。

かといって、「不満の捌け口」として作られた物語も見たくないけど。

(どろどろしていそうだから)

わたし自身、別に「満ち足りていない」わけではないです。

たぶん、「ほんのちょっとしたこと」なんだと思う。

「そうだったらいいのにな」という歌が、「おかあさんといっしょ」に出てくる。

「サンタクロースつかまえて、うちだけ毎日クリスマス、そうだったらいいのにな…」

なんていう歌詞ですが、そんな感じ。

幼稚園時代のわたしを思い出してみると、わたしが小説や童話を「書きたがる」のは当然、というか、あのころから「今」が決まっていたような気がします。

(厳重注意:「書きたがる」と「書ける」はちがうからね)

わたしは中学・高校時代、非行に走るひまがなかった。

小説を書いて(チョー下手だったけど)徹夜はした。

自殺の計画も立てた(結婚問題で親ともめて、24にもなって、だよ(^^ゞ)けど、死んだら書けんと思った。

きっと、「幼稚園がいや」と考えるとこまでいけなかったんだと思う。

途中で「空想」につかまって。

 

(以上)