(スキマスイッチのファンの方に叱られそうなタイトルをつけて、すみません)
添削講評の仕事をするとき、「手を抜いてやるぜ」と思うことはないし、手を抜いている「つもり」もないのですが(客観的にどうかは判断できませぬ)……
最近、しみじみ、思ってしまった。
「おれ、全力で講評書いてるな」って(←キャラ変)。
ときには、講評を書き出してから「あ、こういうふうに改稿すればいいんじゃない?」と思いついて、そのことをまくしたてたり(比喩です)。
「こんないいエピソードを深めないなんて、もったいないです!」と説得(説教?)……したい気持ちを抑えつつ、理論・理屈を語っているように「見せかけ」たり。
(そう、わたしの講評にいちばん多く出てくる言葉は、きっと「もったいない」です)
客観的には「これではダメだろうなぁ(落選するとか、そういう意味です)」と思えるものでも、「わたしはとってもおもしろく感じます!」と正直な「感想」のほうを大きく叫んだり。
仕事なんだから「全力」でするのはあたりまえじゃん、と思われるでしょうが。
わたしにとっての「全力」は……なんていうか、もっと「クール」な感じ……?
理路整然と技術を語るgotomiwa先生のはずだった……そのつもりだった……そうありたかった……のです。
最近のgotomiwa先生は(いや、以前からかもしれないけど)むっちゃ「熱血」してる。
「らしからぬこと」です。
(「熱血」は苦手。そういう人や作品からは遠ざかろうとさえするほど)
恐ろしいことに、それが「講評」なら、どれだけ熱しても消耗しないというか……疲れるのは指くらいかなぁ(ミスタッチが増える)という現状。
ちなみに、わたしは肩こりもしない(感じない?)し、仕事で座るのは木製のダイニングチェアだけど、腰痛にもなったことがない便利なカラダの持ち主です。
自分で自分を「意外」に感じるだけで、やはり「仕事なら、そんなのフツーでしょ」なのだろうし、講評を書いているときだけの「発熱」であって、普段のわたしは、冷え冷えのゆるゆるなんですけどね。
わたしの「全力」や「「熱」が、書き手さんにどう伝わっているかは、わからないです。
これは「作品」と同じだね。
受け取った人ごとに「受け取り方」は違うもの。
「ひとりよがり」で終わっていないといいな、書き手さん(受講生さん)によい作用があればいいな……ただただ、そう願っています。
(そもそも、自分が好きなことを「好き好き」と発表するのも、わたしらしからぬことかもしれない……やはり老女になったせいかしら?)