介護関係の方とお会いしたとき、遺影の話をお聞きしました。
その方のお仕事柄、介護が必要になった高齢(超高齢?)の方と日々を過ごされているわけです。
そして、その方が亡くなったとき葬儀に伺うこともある……その際、遺影を見て「え、誰?」と思うことがあると。
お仕事で出会う前の、その方がもっと若くてお元気なときの写真なので「知らない顔」に思えてしまう。
かなりの高齢になってから、遺影に使うような写真を撮ることがないために(仕方なく)それを使ったのかな、と思っていたけれど(そういう場合もあるかもしれないけれど)「そうじゃない」と気づいた。
ご遺族にとって、いちばん記憶に残る時代、いちばん好きな、いちばん良いお顔だからなんじゃないか……。
そんなお話でした。
今年……特にこの夏から(自身の、または姻族の)叔母の訃報が……すでに3つ?
住まいの遠さ、関係の遠さなどもあって、わたし自身はどの葬儀にも伺っていません。
だから、実際の遺影は目にしてもいないのです。
でも、思い出せるのは、若いころや、病気じゃなかったころの顔ばかり。
先述の、介護職の方の経験談がわかった気がします。
わたしの心の中の叔母たちの遺影も、そうだから。
叔母や義叔母は「親の世代」なわけですから、年齢的に、いわゆる「順番」なのでしょうが、今年は年下のイトコも亡くなっていますし……自身がそういう年頃(?)になったのだと改めて感じ、考えています。
楽しく終わるにはどうすればいいかを真剣に探るべきだ、と。
次の世代に「良い顔」で記憶してもらうためにもね。