【ご注意!】講座等でよく話題になる(受講生さんのご質問が多い「どう書くか」「書くべきか」等の)「プロットについて」の記事ではありません。gotomiwaの個人的な話です。
児童文学の世界で「プロットが云々」「プロットで云々」とよく聞くようになったのは、わたしの感覚ではこの10年ほどかなぁ、と……。
文庫、ソフトカバーの仕事の当時でも「まずプロットを」とは求められなかったので。
(よくお話ししますけど、「ボーイズ・イン・ブラック」のラスト=第4巻が「わかった」のは2巻を書いているときなのよ。担当編集者さんに「よく4巻に収められましたね」と褒め???られた思い出……)
デビュー当時(四半世紀前だ…)だって、もちろんこの言葉はあったけど、編集者さんの口から聞くことは今ほどなかった気がします。
(あることはありました。「プロットを見て決めます」という仕事はあったし、「まず目次を出して」とか「5巻分のタイトルを先に決めて」とかも……それは「プロットを作っておいて」というのとほぼ同義だし)
わたし自身は「プロットが書けないヤツ」なんですが……もしかすると、
「プロットを書いてはいかんヤツ」
なのではないかと思っています、今。
ハナシの途中ですが。
わたくし、プロットが「書けないだけ」であって、プロットなしに行き当たりばったりに作品を書いているわけではありません。
以前は、50枚くらいの作品なら脳内で全部(初めから結末まで)「見る」ことができた……右から左へって感じに見渡せたので、教室の黒板の上に貼ってあった歴史年表みたいだなぁ、なんてよく思ったものです。
今も、たいていは「脳内で見渡してから」書くのですが、それを他人(編集者さんね)に説明するために文章にするのが(超絶)苦手というか……
文章にしているうちに、脳内の絵から離れていくような気がしたり。
ただでさえ(全部見えているつもりでも)実際に作品にする際に変わっていくこともあるわけだし(いわゆる「登場人物が自分から動き出す」みたいなときとか)。
とにかく、プロットを書く作業が「つまんない」のです。
でも、「つまんない」なら、乗り越えることができそうな気がする。
上に書いたように「プロットを書いてはいかんヤツ」と自分のことを思うようになったのは、
「プロットを書くと安心してしまうから」
は~い、全部書けた~♪……みたいな気になってしまうから……デス。
今年、あとひとつ童話を提出します。
わりと直前まで迷うこともあるのに(完全に捨てて、別のものを書いたこともあったなー)今回、アイデアをメモしはじめたら、最初から最後までできてしまった。
つまり、プロットが書けてしまった。
安心する……どころか「おお、ええ話ができたやん♪」と喜んでしまった(自画自賛は通常運転)。
先ほど思い出したのです。
「あの作品、メモ(プロット)を作ったきりになっているのでは……?」
まだ一行も(作品としては)書いていないのです。
安心したままで期限を迎えることになりかねなかった……こわい……。
「世界」が脳内に見えてしまったら、プロットじゃなく原稿自体(粗書きでもいいから、せめて)を書いてしまうほうがいい気がする……わたしの場合。
(受講生さんへのお勧めではありません、「わたしの場合」です)
自分の「アホさ」をカバーするシステムを作るって、大事だと身に沁みる(人生の)秋です。