先日、「オンライン打ち上げ」と呼ばれるzoom飲み会をしました。
(児文協の連続講座の「打ち上げ」です)
そのときに、受講生さんたちが(いわば勉強のために)児童書を読んでいるというお話をされていて、ちょっと、ガーンと来た……。
わたし、ほんとに……読んでないから。
出版されて、いま書店や図書館に並んでいる児童書を。
わたしこそ「勉強のために」読まなきゃいけないとは思っているし、時間をとって固めて読もうと思っている作品群もあるのですが。
では、児童文学をまるで読んでいないのかといえば(いちばん好きなジャンルはミステリーですけども)そうではなくて……。
その「打ち上げ」以降も、600~700枚分の作品を読んでいます。
長編児童文学の単行本だとしたら、3冊分くらいかな。
でね、それらの生原稿(パソコンで書かれているし、原稿自体はコピーの場合もあって「生」っぽさは皆無ながら)が、たまたま※どれもハイクオリティだったの!
おもしろかったんです。
そう、おもしろいし、うまかった……書き手さんの技術(表現力等)が感じられるものだったの。
※「たまたま」今、そういう作品が多く手元にあるわけですが、「添削しがいのある作品」を手にすることも多々あります。
それらは(現時点では)書いた方とわたししか知らない作品なのです。
第三者と、その作品について語り合うことができないのです。
語り合うためには何らかの形で「発表される」必要があるけれど、そうなるかどうか、保証はできないし。
わたしにできることがあるとしたら、「これを応募してね」とか「あなたは書き続けてね」とか、そういう主旨のことを言う(または念じる)ことだけ。
まぁ、作者さんに対してはキモチを伝えられるのだから、タイトルに書いた「孤独」はいいすぎかもだけど、
「○○っていう、××について書いた話を読んだよー! もー、ぶっとんだよー、うまいんだから!」
みたいなことを口に出せないし、ネットにも書けないのは、やっぱり、ちょっと「孤独」ではないかい?
そういえば、過去にこんな記事も書いてました。
おもしろい「生」の作品に出会えるのは、幸せなことです。