客観的にどうかはわかりませんが、自覚的には「惚れっぽい」んじゃないかと思います、わたし。
すぐ、人を好きになるというか。
先に「注」を書いておくと、惚れっぽいけど「愛情深い」わけではないです。
感情(対人面)の振れ幅が小さいというか。
「憎む」「妬む」的なものも薄い……(「憎い相手」とか思いつけないもんな~)。
もうちょっと軽い(?)感情はあります。
「嫌いな人」だって、人生で3人くらい覚えているし(いずれも、もう関わりがない)。
「苦手なタイプ」なら、もう少しいると思う。
理性的判断で「近づかないようにしている人」だっているぞ! ←自慢か?
そんなgotomiwaですが。
最近よく考えるし、人に言ったりもしているとおり、
「添削講評をしていると、その作品の作者さんを好きになっちゃう」
んですよ、やばいね。
このフレーズが(あなたの中から)出てくるなんて素敵、とか。
セリフまわしがプロいわ、とか。
ああ、このシーン、工夫されてるんだなぁ、努力が見える気がするなぁ、とか。
そんな感動があると、もうダメ……。←?
わたしなんかに作品を(何度も)見せてくださるなんて、と思うだけで、すでに惚れてるかも。
愛情深くはないけれど「好きになりやすい」……この状態をどう呼べばいいかわからないけど。
そういう性質だから添削講評の仕事が楽しいのか、この仕事を楽しめるようになったから何かが変化したのか……それも、よくわからないけども。
公募スクールの、お顔も声も知らない受講生さんもしかり(オンライン講評も増えたので、筆跡も知らない場合もあるのに)。
児文協の講座関係の、zoomの画面越しに5~6回……多くても10回もお会いしていない受講生さんも。
リアル教室の生徒さんや、ときどきお邪魔させていただくサークルのメンバーさんも同様……「作品」を介して、何かしら感じるものがあるんだと思います。
で、好きになる、と。
上に書いたように「深さ」はないから、「執着」みたいなものも無縁。
特別に目をかける、みたいなこともない(そもそも、gotomiwaに目をかけられても「いいこと」は起こらないし)。
「先生」としては、非常につまらない存在かもしれません。
なんか、申し訳ない……orz(失意体前屈)
つまらない先生なりに、これからも広く浅く惚れつつ仕事をしていくと思います。
惚れっぽいのに「惚れ幅」が小さいからこそ、十数年続けてくることができたし、「もっとやりたい」(件数的にも年数的にも)と思えるのでしょうね。
(ドキドキしすぎると短命なのよ、動物は)
そんなことを考えながら、リアル教室に行ってきます(^o^)/