選考委員として、毎年いくつもの作品(昭和の感覚でいえば「生原稿」ですね……実際はパソコンで書かれていたりコピーだったりしますが)を読ませていただいています。
そして、驚いています。
文章がうまい(まともに書けている)人って、わんさかいる(次々に登場する)んだなぁってことに。
今は、ネットでも「創作について」の情報が得られます。
一般的な大人なら「小学校で習ったことなんか忘れているわ」な、原稿用紙の使い方も調べたりできるでしょう。
文法だって同じ(わたしもネットで確認することがあります)。
それに、ワープロソフトを使えば、文字のクセも気にせず、禁則処理も自動的……。
だから、選考の際、目の前に原稿を並べただけでは「違い」がわかりません。
どれもが素敵に見えるんです。
自分がデビューしたころ、当時多数の賞で選考委員をなさっていた故・木暮正夫先生が、
「受賞する作品は光って見える」(読む前からわかる、的なことです)
とおっしゃっていました。
わたしも、それは感じます。
少し前まで感じていました、はっきりと。
ところが、最近、ぱっと見ではわからないことが増えた……かも?
文章自体はうまいし、見た目(書式)は整っているし、梗概もちゃんと書けている(わたしは本文の後に梗概を読む派ですが)……。
並べてみると、どれも素敵……光ってる?
……と思うのに、読めば「違う」のです。
わたしは、添削講師でもあります。
講師として、原稿の作り方(いわゆる「原稿用紙の使い方」ですね)をご案内するのは、作者さんの「思い」を伝えるために有効だったり、公募の場では「みんなが同じ条件で」競い合うためにも必要だったりするからです。
文章の修正をお願いすることもあります(これも、よりよく伝えるためです)。
いずれも「覚えればすむこと」なので身につけていただきたいですし、実際、多くの方が上手になっていきます。
「光る原稿」に近づけているはずです……。
だけど……「それ」だけじゃ、ダメなんですね、たぶん。
2次選考以上(最終選考クラス)になれば、「文章はまともに書けて当然」「見た目が美しいのがフツー」です。
それでも、読めば明確に違う……。
ちゃんと『差』がある……。
その『差』の部分は、どうすればいいんだろう?
選考委員としての体験を、講師としてのわたしは活かせているんだろうか……。
有効な……つまり、その『差』を埋められるようなご助言ができているんだろうか?
これは、自身に問いつづけなければなりません。
(選考の場で『差』がつくようす……その実際の「ようす」のひとつが来月発表されますので、よかったら選評などを読んでみてください)