民生委員信条というのをご存じですか?
検索すると出てくるので、適当なサイトをリンクしておきます。
この「信条」を定例会議の際に「唱和」するのが、わたしにはとうとう「慣れない」ままでした。
その昭和っぽい(ダジャレか)雰囲気もつらいし、
「わたしには隣人愛とか、ないじゃん」
なんて、いちいち心の中でツッコんでしまうこともつらいし……(でも一応、唱和はしている)←良い子だから。
会議のたび、その他の任務のたび、絶対にわたしには向いてない! と思わされるのですが。
春の=新年度の(年間でいちばんしんどいと思われる)任務も「終わり」が見えてきました。
GW明けから、雨の日は避けて、正味一週間ほど?
「気の重さ」に比べると、順調だったのかもしれません。
(いやいや、まだ終わってないんだから気は抜かないようにしないと)
「はー、しんど」
と溜息をつきながらも(退任の意思が翻らないわたしにとっては)どれもこれもが最後の任務。
そう思うと、ひとつひとつの出会い(や再会)が愛おしく思えたりも。
微小ながらも、これ、隣人愛でしょうか?
でも、任務の性質上、お会いするのは高齢者の方が主なので、
「お久しぶりです。お変わりありませんか?」
「先日、夫が亡くなりました」
とか。
「こちらは、お子さんとご同居でしたよね」
「亡くなりまして、今はひとり暮らしです」
とか。
絶句する場面になってしまうケースも。
(特に、逆縁はつらい……)
「ため息つけば それで済む」と、さだまさしが歌っていたけれど、溜息だけで済ませないと(切り替えないと)わたしのほうが沈んでいってしまうので。
引きずられがちな人には向かないと思うんだけどな……民生委員。
Ĉu mi havas 隣人愛-n?
(わたしに「隣人愛」なんて、ある?)
そんなことを思いながら、今日も出かけてきます。
(ちなみに、春ほど大きくない=気が重くない任務が秋にふたつ残ってます。それ以外にも単発でいろいろ)←がんばるぞーっ。