やだやだー、わたし、もう、児童文学なんて書かないもん!
……と、言ってるわけではありません。
東京で、たくさんの書き手さんにお会いして、いろんなお話を伺って……その結果だと思うのだけど、帰り道に「降ってきた」のです。
そうだ、児童文学を書こうとしなくていいんだって。
(ちなみに、ここでは一般的な語として「児童文学」と書いていますが、わたし自身は自分の書いているものを「児童小説」と呼んでいました、自称も「児童小説家」なのは、あちこちのプロフィールに書いてきたとおりです。以下、「児童文学」の語で通しますが、わたしの中では「児童小説」に聞こえていると思っていただければ……)
児童文学を書こうとしなくていい……。
なぜかというと、わたしは「何を書いても児童文学になってしまう」から。
むかし(えぇ、公募時代)から大人の小説に挑戦しては、挫折したりもしているからです。
(内容をアダルトにしても、文章や雰囲気が「児童文学っぽい」というか)
自然に児童文学っぽく(?)なっちゃうのなら、「グレードは」とか「表現は」とか「主人公の成長は」とか、がちがちに考えなくてもいいじゃんね?
いえ、児童文学の「基本」というか「通例」というか、そういう意味で、講師としてその話をすることはあるけれど(誰でも「書けば何でも児童文学になってしまう体質」とは限らないから)……自分までそれらに縛られてどーすんだ、みたいな「呆れた気分」にもなったのです。
これに近いことは、長年書きかけの作品のことを考えるたびに意識していました。
「児童文学じゃなく〇〇として、人生最後にこれを書こう」って。
今、もうひとつ書きたいものができて、「人生最後」がいくつあんねん? 的になっていますが、
「児童文学じゃなく、人生最後の〇〇として、これを書こう」
と、考えようと思います。
作品を「わが子」にたとえるのは好みではないのだけど、脳内に宿った世界を「産まず」に……そのままにして人生を終えるのは、悔しいというか淋しいというか、なんていうか……心残りになりそうで。
自分が作った世界は、自分以外に書けないはずなので……背景やキャラ造形、文章、その読点や助詞の一文字に至るまで、自分だけのもののはずなので……。
「児童文学」を書いてきた(と意識してきた)自身の過去にさえとらわれず、今、書こうと思っているものをただただ育てていこう、と……。
幸い、どちらもジャンル名で(「恋愛」とか「ファンタジー」とか「歴史」とか「ミステリー」とかのように)呼べるので、「児童文学」ではなく、そのジャンル名を目印に貼っておこうと思うのです。
(どうせ勝手に児童文学風になるのですしね)←自虐じゃないよ