今週のお題「これに影響を受けました!」
はてなブログのお題です。
眺めていて思い出したので、書きます。
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作家さんたちと話したり、受講生さんに問われたりするので、常に頭の隅にこの問いがあります。
「新しい」とはどういうことか。
わたしは「童話作家には80代でもなれる」(80代でも現役でいられる)と主張しているし、実際そういう方々はいるのだし、単なる理想ではないと思っています。
でも、一方で、「若い人にはかなわない」みたいな気持ちもある……。
一応、言っておくと、この「若さ」は感性みたいなこと。
実年齢の数字は「数字に過ぎない」のですから。
とはいえ、実年齢どおりに(作品が)「古い」人もいるわけで……ややこしいですね。
たまに、「自分が読んできたような(自分が好きな)ものを書きたい」という方もある……。
「自分が影響を受けたもの」を、今度は自分が作りたい、ということだと思います。
だけどさ、その人が影響を受けたってことは、その作品(なり何なり)は、もう「この世にある」ってことでしょう?
影響されたのが「子ども時代」なら、昭和のころに存在していたものってことですよね。
それで、できた作品が「古い」……古く感じさせることがあるのかも。
すでにあるものなら、同じようなものを作っても、求められることはないんじゃないの?
いくら多くの人が大好きなベストセラー、ロングセラーだとしても……そういうものだからこそ、「それはもう『ある』、『知ってる』から要りません」になるんじゃないのかな。
影響を受けてきたってことは、「好きなもの」と同義と考えてもいい?
それを書きたいというのは、当然だと思うし、わたしもそうです。
だからこそ、似たようなものを書くのはやめたい。
それの「何」が自分に『響』き、『影』として寄り添っているのか……好きなものの「どこが好きか」まで、深堀りしたい。
深く掘っていって、「底」で見つけたものを活かしたい。
(余談だけど、近年よく聞かれるようになった気がする、この「深堀り」という言葉がなんとなく苦手なの。どうしてかな? その行為以外を嫌がっているわけではなく、言葉として苦手なの。変かな。でも、何をどう感じるかも大切なことだと思うから、無理に好きにならなくていいよね?)←この言葉がすんごく好きなのよ(怒)という方には、ごめんなさい。
年齢的には、そして血液検査(の数値)的にも、わたしは「老女」なのです。
自分のことを「昭和の子」と呼んだりもします(新しいもの、知らないしなー)。
「古い人」にしか見えないのかも……。
けれども、作品に関しては「好きな(自分に影響を及ぼした「何か」がある)」うえに「自分が読んだことがないもの」を作ろうとしているとは思う……内容的にうまくいっていない(おもしろくない作品ができてしまった)としても。
だからといって、それは「新しい」とイコールとは言えないよなー。
ほんと、「新しい」って何だろうね?
わたしは(何か質問されたとき)講評にしょっちゅう「紫の絵の具がないときは赤と青を混ぜればいいよ的な、明快な回答ができなくてごめんなさい」みたいなことを書く……。
「新しい」について問われたときも、そう書くことになると思う。
ただ、「何だろう?」と考えつづけることにも意義はあるんじゃないかな……答えを「出す」ことより「探す」ことが大事というか……。
答えを出せない自分を、甘やかしているのでしょうか。