どうして民生委員を続けてくれないの? と聞かれます。
(そらそーだ。定年まであと4期分=12年はあるし、後任はそうそう見つからないし)
そのときどきで、回答が変化します。
わたしの脳内にはいくつかの回答例があって、それぞれレイヤーが違うので、時と場所(相手)によって選んでいるのです。
(絶対に口には出せない回答もあるよ(^^ゞ)
どれも真実だけど、「どうしてか」の一部分でしかありません。
全部説明する必要もないので、それでいいのですが。
その回答のひとつに「小説家に戻りたいからです」というのがあって……実は、まだ一度も使っていません(^^ゞ
(もっと仕事がしたいから、みたいなことはいったことがあるけど、そのときにわたしが想定していたのは添削講師の仕事でした)
「小説家に」と言えないのは、実際、ほとんど書いていなかったからです。
「戻りたい」と言いながら何も書けなかったら、ウソになるよなー、みたいな……。
(人さまにバレはしないだろうけど、自分的には、なんか苦しい)
でも、最近、少しずつ創作活動に戻って(戻れて)きて、これまで動かなかった物語が動き出すのを感じたり、「もう書けた」と思っていたシーンに新しい表現が加わったり……。
とにかく、ずっと以前に感じていたヨロコビを……もうなくなったかもと思っていたものを再び感じられるようになったことで、ようやく、
「小説家に戻るため」
という回答……これまで用意はしていたけどグレーアウト状態だったものが「選択」できるようになった、そんな感覚があります。
「あ、そうだ、あのシーンにはこの一文を足そう」みたいなひらめきで目覚めるのは、本当に久しぶりです。
気持ちいいなー。
(講評などでは、よくあるんですが)←これは気持ちいいときと、ズーンと落ち込むときがある。
小説を書く「脳」になっていると、予告なく飛び込んでくる電話(連絡とか任務とか)が「つらい」んです。
緊急を要するものもあるからね……ごくたまに、とはいえ。
そういうものを減らして「浸っていたい」のです。
そうそう、回答例が「小説家」なのは、「童話作家」と表現すると80%以上の割合で「絵本を描く人」と誤解されるからです。
(いや、98%といってもいいかも。これまでに地域の方に正しく認識されたことはない気がします)
「文字しか書かないのよ」という説明を省くために、この言葉を使うことにしました。
・・・
余談だけど、ふだん自分が児童文学の世界にいると忘れがちなこと。
世の中の大半の方にとっては「それって何?」です。
絵本と誤解されないとしても、童話は「宮沢賢治」か「アンデルセン」という感じで。
「岩崎書店」からデビュー作が……という話をしたとき、娘の担任の先生に「本屋さんに頼まれて書いてるの?」と言われたときは、答えに窮しました。
小学校のベテランの先生でも、こんな感じなんだなーと。
いえ、もう、そういうことに絶望はしていません。怒ってもいないよ。
わたしだって、検察と警察の違い(?)を知ったのは大人になってからだし。
関係ない世界のことは、知らないのが「普通」だと思う。
だから、こちらで対応を変えるだけ、です。
(もうちょっと話が通じる場合は「児童小説を書きます」などと言いますよ)