9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

傲慢だもん。

今週のお題「自分で作った◯◯」

 

はてなブログのお題です。

「自分で作ったものは特別」ってコピーに、「確かにそうだよね」と思った朝。

 

自分が書いた文章は「自分のものだ」ってわかる……ヘンな表現で恐縮ですが。

たとえば講評など、何度か読み返す文章は、毎回同じ部分で引っかかる。

修正し忘れていても、次に読んだとき「あ、ここ、直し忘れているわ」とわかる。

そういうことは、常に、フツーに、あたりまえにある……その程度には、自分の文章は「自分」なのです。

 

かつて地元新聞に童話募集のコーナーがあり、何度か採用していただいたのですが、それね、掲載時に選者の方が修正するタイプの企画だったのですよね。

「あれ? わたし、こんなふうに書いたかな?」

って違和感があって、「ああ、部分的に直してるんだ」って『知った』のです。

ほかの人の作品については、どこをどう修正されているかわからないですもんね。

自分の作品が載って、初めて「ん?」ってなった……。

 

採用(入選)はうれしいけど、そのコーナーに載ってもあまりうれしくなかったな。

文末やセリフをちょっと変えられるだけでも、もう「自分」じゃなくなるからね。

だから、毎週応募できるコーナーだけど、結局は数えるくらいしか送ってない。

(確か3回、掲載されました)

 

自己啓発やビジネス書などは、編集者が文章を書く(直す)こともあると知ったときは、内心「ひーっ」でした。

出版の世界も「やり方」はひとつじゃないんだな。

どちらがいい・悪いじゃなくて、ね。

でも、小説(児童文学)でそんなことしたら、ヤバくない?

 

たったひとつの単語でも、変更を求められるとき、わたしがその語を見つける(決める)まで担当編集者さんは待ってくださった……。

ゲラの段階で……入稿期限ぎりぎりで「その場で決めねば」ってときも、電話のむこうで待っていてくださった(きっとイライラしていらっしゃったと思うけど)。

結果的に一か月、待ってくださったパターンもある……たった5文字の単語を見つけるのに、それだけかかったわたしも「いかがなものか」ですが(^^ゞ

 

幼年童話など、漢字表記やわかちがきを先方のスタイルに合わせる仕事のときは、こちらも「変更されるものなのだ」とマインドセットしているので、自分が書いた原稿どおりじゃなくても気にしないし、「勝手に」別の単語にされるみたいなことは起こらないので(連絡してくださるので)安心しています。

 

そういう仕事以外では、漢字の「とじ・ひらき」だって、「あ、わたしの書いたとおりじゃないな」ってわかる……。

まして、文末とかセリフとかを変えられたら……。

 

ただの公募好きにすぎなかったころだけれど、あの無断で選者に「いじられている」感覚……本当にキモチワルイものだったのだなと、今しみじみ思います。

たとえ、変更によって客観的に「より良く」なっていたとしても……。

 

わたしには、そうは見えなかったけどね。

マチュアだけど「え、そこ、変える必要ある?」と思ってたわ。

その程度の傲慢さ(いや、プライド)はあってもいいでしょう?