読者会で、詩の話題になった。
読書会で「詩を読んだ」のではなく、詩について書かれた文章を読んだのだった。
その際に話したり聞いたりしたことは省略するけれど、10代から20代初めにかけて、ざくざくと詩(や詞)を書いていたわたしが、今、まるで書けない(手が動かない)のは、どうしてだろうと考えてしまった。
結論(?)からいうと、何かを見つける能力が減っている……見つけたとしてもそれを脳内にしっかり保持する力がなくなっているせい、だと思う。
数年前、人と話していて「あ。今の話題、童話になる!」と思ったのに……そのことは覚えているのに、その話題が何なのかを忘れてしまっていて……この経験自体は忘れがたく、長く長く「がっかりしっぱなし」だった。
以前の(特に公募時代の)わたしなら「あ。」と思った途端に、脳内にパーッとストーリーが広がっているか(そうすれば忘れない)、少なくともメモは取ったはずだ。
そう、何も見つからない、何も感じないというわけではなく(若いころより減ってはいるだろうが)それをとっさに捕まえる瞬発力と、捕まえておく保存力(?)がなくなっているのだった。
読書会でそんな話をし、「近頃の自分」を省みたせいか、直後に久しぶりに「あ。」を捕まえることができた。
「うわあ、こうやって、しょっちゅう捕まえていたよね、わたし」
と思った。
非常にうれしい。
こんなことが、こんなにうれしいとは!
「あ。」から、詩とか短歌とか俳句とか、ときには童話とかが生まれたとしても、それは駄作の可能性が(大いに)ある。
それでもいいんだ。
今のわたしにとって大事なのは「キャッチできるかどうか」なんだから。
「あ。」は、本当に瞬間的。
「二度見」しても見つからないことも多い。
しっかりつかまないと、そして、ちゃんと「これだ」と意識しないと、いつぞやのように「あ。」と思ったことだけを覚えていて、それが何だったのかは思い出せないまま……ということになりかねない。
昔みたいにできるようになるかはわからないけれど、しばらく気をつけておこうと思う。
わたしは、しょーもない短歌を書く。
このブログに「今日の短歌」というタグを用意しているほどだ。
数年前の作だけど、自分でも由来が謎な、
「初恋は何歳だっけとりあえず六十代はこれが初恋」
とか、
「通信費消耗品費交際費旅費交通費会費書籍費」
という、確定申告短歌(?)とか。
名作は狙わない(狙えない)(狙いようがない)。
ただ、捕まえて……できれば五七五七七に整形しておきたい、そんな感じ。
そうだった。
落選歌集を作る夢(?)もあったっけ。
じゃあ、応募もしなくちゃいけないわね。ふふふ。
こんなことを考えていられるのも楽しい。
思っていたより、ずっと楽しいぞ。
書きあがるものが何かもその出来も気にせず今はつかまえよ「あ。」を(今日の短歌)