短歌を(ときどき)作るのが好きです。
一昨年でした。
郵便はがきを用意して、そこにできたての短歌を書いて、新聞の短歌コーナー(○○歌壇とかの名のついたページ)に送ったことがあります。
ポストに走った、あの晩の高揚感。
楽しかった記憶は今も鮮明なのだけど、落選しました。
つい先日、その短歌コーナーをザーッと眺めていて、突然気づいたのです。
落選理由に。
というか、わたしの短歌は「このままじゃ、きっと永遠に落選だ」って。
「気づき」の内容は書きません。
まちがっているかもしれないから。
でも、「次はそれを考慮してみよう」って思えたことが収穫というか……その収穫に妙に感動したというか……。
(それで、この記事を書いています)
全然違うジャンルだけど、わたしにとって「よく似たこと」に思える経験が過去にあります。
とある作品を書いたとき……度重なる書き直し要請になんとか応えて、OKをいただいたとき。
「それから」同じレーベルの先行作品を読んだのです。
編集者さんに「こういうのを出してます」って参考資料的にいただいていた本です。
(悪い意味で)影響を受けそうな気がして、それが怖くて、「自分の原稿ができたら読もう」と思っていた……結果的に大まちがいだった……。
先にその作品を読んでいたら、書き直し要請の3割くらい(体感です)は一発でクリアできていたんじゃないかな。
あるいは、もともと要請されなかったんじゃないかな。
(これはいいすぎか。当時の経験値なら要請された可能性は、大)
本当の意味で「参考資料」でもあったのに!
アホだわ!
もともとせっかちなせいか、「こういうものだろう」「これでいいんだろう」と脳をセットしてしまうと、疑わずに従ってしまうらしいです。
確かに、童話を初めて書いて(応募して)みたときも、「童話って、こういう感じでしょ?」みたいな勝手な思い込み状態で書いていました。
タチが悪いのは、「それっぽいもの」ができてしまうこと。
初めて書いたころの童話だって、とりあえず規定枚数に収まっていたし、文法的にもヘンじゃなかったはずだし……。
でも、きっと、それじゃダメなんですよね。
気づいて、壊して(あるいは、壊れてから気づいて)変わっていくことが、わたしの場合、大事なのかもしれない……。
ということを、今さら、シュミ(「趣味」と書くのもおこがましい)の短歌で気づかされるとは!
怖ろしくなるほど今日は恥ずかしく短歌を添える気にもなれない(単なる五七五七七)