「gotomiwa教室」などと、ごく一部で呼ばれている個人レッスンをしたいと思っていました。
いえ、過去形ではなく、今でも思っているのですが、諸事情により年々遠ざかっている気が……orz
遠ざかったものは何とか引き寄せるとして、解決が未だに「遠い」問題もあるのです。
そのひとつが添削講評の料金設定。
(有料の講座を受けてくださっている方がある以上、無料ではできません)
先日、実妹と世の中の「品物」の料金設定について雑談中、「添削講座の場合はどうすればいいかなぁ」となり、
「時給」
という設定方法(?)が提案されまして……唸りました。
後に調べたら、愛知県の最低賃金は(厚生労働省のサイトによれば)1,140円だとか。
これ、時給ですよね。
つまり「一時間添削したら1,140円」。
一応、シミュレーションしてみましょうか。
5枚の短編で、すごくうまくって、目を通して「どこも直すところがないわ!」ってなったら、かかる時間は10分以下のはず。
仮に10分で判断がついたとして、1,140を6で割ったら、190円……(電卓使いました)。
さらに講評を添えるとしても、その作品がうまければうまいほど、書くのにかかる時間が短くなるはず……。
もしも10分で書けたら、プラス190円……
一作品の添削講評で380円……ガーナチョコレートが2枚買えない……(チョコレート値上がりしすぎ!)
これは極端な例だし、わたし個人の感覚では報酬が板チョコ2枚弱でもいいんだけど。
逆に「ひどい作品」だったとしたら……「2時間かかったので2,280円いただきます」なんて、いえますか?(いえませんよ)
途中でちょっと昼寝したので2,000円にまけときます、とかね(別の意味で、いえないわ、そんなこと)。
とにかく「時給」案は却下です。
小説を書く人だって、時給では考えてないと思うなぁ、どうだろう?
添削講評は「創作」に非常に近いです。
ほかの先生はわかりませんが、わたしにとっては「近い」のです。
実際に目と手を動かしている(原稿を読んで、書き込みをしている)以外にも時間を(脳のリソースを)使っています。
家事をしながら頭の隅で考えていることも多いし、眠っているはずなのに「あ、そうだ!」と思いついて起きてしまうこともある。
それは「時間」で測れない……。
作るために場所(工場・機械)や人件費や材料代や販路が必要な「品物」の料金設定のようにはいかないよなー。
そりゃそうだよなー。
「じゃあ、どうすんの?」
答えは、なかなか出そうにないのでした。
そうこうしているうちにgotomiwaの老人力はよぼよぼと増強し、「gotomiwa教室」を求めてくれたみなさんが教室開設を待たずにデビューしていってしまう、という結末になるんじゃないかなぁ。←ハッピーエンドだ!!