今週のお題「こんなバイトをしてました」
はてなブログのお題を目にしたら、フッと情景が蘇ってしまったので。
わたし、いろいろなバイトをしました。
案外(???)働き者です。
その中には、あまり人に話したくないもの(今なら違法では?)や、思い出すのがうれしくないものもあるので……。
初めてバイトしたのは、郵便局の年末、年賀状の仕分けだったと思います(※1)。
記憶が正確じゃないかもだとけど、仕切りのある木の棚みたいなものの前で年賀状を配達先に分けていく仕事です。
雇ってもらえたんだから、高校生だったはず……。
当時のわたしはいわゆる「陰キャ」(※2)で、まわりの人とひと言もしゃべらず、おとなしく、暗~く、黙々と作業をしていました。
まわりの(正規の)職員さんとか、ほかのバイトさんとか、扱いに困っていたんじゃないかな。
最終日だったと思うけど、職員さんがコーラ(瓶入りだった)をごちそうしてくれたこと、覚えています。
でも、バイト代がいくらだったのかは、まったく覚えていません。
娘に働かせて搾取する親、とかではなかったので、自分のお小遣い(自主的お年玉?)になったのかな。
うちは、裕福じゃない、ごく普通の核家族だったので、両親は「共稼ぎ」で、わたしは学童保育も利用した「かぎっ子」でした。
うわあ、昭和だなぁ(実際、昭和の後半ですが)。
そんな子にありがちなのか、自身は「できれば専業主婦」とか思っていたけど、妊娠するまでパートで働いていたし、出産後は懸賞や投稿で「お小遣い稼ぎ」をしていたし、その後は、今でいう「在宅ワーカー」だったわけで……
この、ちょこちょこ仕事をしてしまう体質(?)は、ずっとちょこちょこ働いている母譲りじゃないかと思うのですよね。
義母は完全な専業主婦(もしかして結婚前も特にお勤めはしていないかも?)なので、なんとなく「違い」があるのです。
「お義母さん、わたし、明日から出張です」っていうと、リアクションが、
「あら、明日は雨よ」
みたいになる……。
いやいや、ピクニックじゃないんだから雨でも行きますぜ。
こういう会話を何度したことか……。
ちなみに実母は80代後半の今もOL。
実家の家業の、ですけどね。時短だし。
ちょこちょこ働く性質が遺伝してしまったわたしも、昭和時代なら「定年」だった年齢を越えたのに、ちょこちょこ仕事をしているのでした。
仕事があるって幸せ~~~と思いながら。
※1 父が勤めていた会社の営業所で「電話番」のバイトをしたことがあります。ベルが鳴ったら受話器を取って(←昭和)、
「はい、○○商事でございます」
とか言うの……。
ただ、バイト代が父の懐から出ていた疑いもあるし、郵便局のとどっちが先かはっきり覚えていないので、公式(?)には郵便局が初バイト。
※2 わたし、今でも「陰キャ」です。
年のせいで、必要に応じて「陽な感じ」の皮をかぶれるようになっただけ。まぁ、それは悪いことではないですよね。