これまでもときどき打ち明けて(愚痴って?)きたとおり、わたしはプロットを書くのが苦手。
プロットを提出せよ、といわれて、ざっと本編を書いてから「あらすじ」を抜き出したこともあるくらい苦手。
しっかりとプロットを作ると、「もう書けちゃった」気になって、実際に書くのが億劫になるから苦手。
そんなわたしですが、この数年でわかってきたのです……。
プロットが読めるようになってきたかも? って。
特に今年はあちこちでプロットを拝見する機会が多くて(前年比)……一度も困らなかった……と思う。
(困らなかったのは「講評する者として」であって、聞いた相手の方は「そんなこと言われてもなー」とお困りだった可能性はあります)←かなりあります。
プロットから「できあがり」がイメージできるようになったというか……。
「この部分が足りてないのでは?」とか「規定枚数に合わないのでは?」とか、そういうことをお話しできるようになった……そんな感じです。
出版の仕事では少し前から「先にプロットを出して」といわれることが増え、「プロットが書けないわたし」は絶望していたのだけど……。
確かに、原稿丸ごとの「持ち込み」は書く時間も読む労力もかなりなものになるから、その結果「まるボツ」とか「大幅書き直し」では、無駄が多すぎるよね……。
上記のように、今も「プロットを拝見する」という仕事はさせていただいているのだけれど、これを増やしていけるといいな。
たとえば、
「Aという公募に、このアイデアを書こうと思っている」
といっていただければ、
「Aが求めているのとグレードがちがうよ」とか。
「前回の大賞と、舞台が似すぎてない?」とか。
軌道修正をしていただくことも、できるんじゃないかな。
(書くのは辞めましょう、というわけではなく、別の賞に応募しましょうって感じです。書きたいものは「書くしかない!」……でも、応募するならハナシは別。落選や失格の可能性があるならね)
200枚の原稿を書いてからどうこうするより、5枚のプロットの段階で「わかること」があれば、作者さんはもちろん、gotomiwa先生的にも、「ああ、先に相談してくれていたらorz」と失意体前屈にならなくてすむ……そういうことは、実際にあると思うのです。
というわけで、「プロットを拝見する仕事」が増えるといいなー、という願望(!?)を臆面もなく書いた記事でした。
(そして、あいかわらず、自分がプロットを書くのは苦手……)
・・・
(補足)
プロット問題は、要不要とか何文字書くべきかとか、長い(複雑な?)話になりがちなので、このブログでは省きます。
児童文学を書く人は、その大半がすごくまじめなので、「要・不要」「Yes・No」や「数字」に縛られてしまうことがあって……。
(「起承転結」の「起」は何行目まで、とか、何行ごとにひとつの段落にしよう、とか、「数字」のせいで書きづらくなっている方が、ときどき……)
サササッと話すと、キケンだったりするのです。