通信講座、若いころからいったいいくつ「申し込んだ」か……思い出せません。
はい、「申し込んだ」(受講してみた)という表現しかできないものが多いのです。
はずかしいから、どんな講座を申し込んできたのかは書きたくないけど……。
修了できたものの数は覚えています。
3つです。
そのうちのひとつは「立原えりかの童話塾」……童話を書く人の多くが経験された講座ではないでしょうか(わたしも。そして、よく広告に載った…)。
立原さん亡き後、どうなっているのでしょうか(気になりますが、知るすべはなく)。
テキストは立原さんが書いたのですから講座名に偽りはないし、スタッフの方々(?)だけで添削ができるのかな。
わたし自身がいつのまにか通信講座の講師になっていて、いったいこれまで、何人の方に「修了おめでとう」と言ってきたのかな……と考えてしまいました。
わたし自身がたくさんの「リアイヤ」を経験しているように、わたしも「リタイヤされる側」にいるわけです。
最後までがんばってくださったみなさんには、「おめでとう」といいながら、「ここまで続けてくれてありがとう!」と思ってもいるのです(そう書くことはないけど)。
わたしが担当している通信講座には「添削のスタッフ」はいないので、わたし(の脳)が「終わった」場合、講座そのものが消えることになるでしょう。
勝間和代さんが何かの動画で(覚えてないので再確認できず)人の死に方のパターンは3つ、とおっしゃってました。
記憶を頼りに(?)わたしなりの言葉で書くと、
1・事故等で突然死ぬ
2・病気等で余命がわかった状態で死ぬ
3・肉体的限界(老衰)で死ぬ
という感じになるでしょうか。
2と3は、ある程度の準備ができますよね。
でも、1は……。
わたしは「口先オンナ」で、gotomiwa教室を作りたい作りたいといいつづけ、「いつできますか?」と聞かれては謝っているのですが(本当にすみません、また延びました※)……。
「ひとり」ではできないのかもしれない、と気づきました。
もしも、パターン1のとき、生徒さんに多大なご心配とご迷惑をかけてしまうからです。
連絡とか原稿返却とかを託せる「後見人」みたいな役目の人を設定しなければ……。
「作りたい」という夢だけでは、作れないのだなと唸っているところです。
※来年度、日本児童文学者協会のオンライン創作教室を担当させていただくため。既存の講座や教室の上に、毎月「最大600枚」分(もちろん、そういうことはないでしょうけど)の原稿をお預かりすることになるので、自由に仕事を増やせないと思う……緊張するなぁ……心拍数や血圧に気をつけよう……「1」は困る……