「第54期日本児童文学学校」(と呼ばれている連続講座)がはじまりました。
大半の受講生さんが初対面の方なので「一体、どんな方がお越しくださるのだろう」と不安でしたが……深い意見交換に緊張する数時間でした。
(わたしのほうが、ついていけるか、不安……)
で。
講義、講評を聞きながらわたしが何をしていたかというと、自分の作品の「不備」に気づいて、メモを取っていた……。
講義内容ではなく、改稿のためのメモを……。
すみません、「内職」みたいになっちゃって。
最近「これでいいのかなぁ」と思っていたことがあったのですが、「これじゃよくない」と気づけたというか。
「ああ、あの角で曲がるべきだったのに、まっすぐ進んでたわ」
と、問題の交差点に戻れた感じです。
さらにぶっちゃければ、「自分が書くのは児童読みものである」と再認識した感じ?
四半世紀を過ぎても、まだこんなことを言っているのかと自分にあきれますが、もともとほかのジャンルから書きはじめ、児童文学に移行したせいもあってか、その「交差点」を見過ごすことが多い気がします。
児童文学を仕事にして、その交差点の存在には気づいたのに、ついついパーッと直進してしまうことがある、というか。
(正直言うと、その児童文学的交差点に未だに馴染めてない……だから、意識しないと見落とすのです)
抽象的ですみません。
具体例を挙げようがないので……。
「好きなこと、書きたいものを書いてください」って、編集者さんがおっしゃることがあるでしょ?
確かに、そう。
それでいいのだけど……たぶん、言葉が抜けています。
「好きなこと、書きたいものを『児童書として出版できるように』書いてください」
みたいな感じ、だよね?
思い入れのある題材(テーマ)を持っているのは大事だけれど、「書きたいものを書いた!」という、自己実現的なところで止まってしまうことはありませんか?
(自己実現も大事だけども)それだけだと、出版社からは「あなたの書きたいものを出してあげる会社じゃないんですよ、うちは」っていわれてしまうんだろうなって……。
そういうことを語るためのブログじゃないので……そもそも、未だに道を間違えるわたしに語れるものがあるのかよって感じなので……切り上げますが、とにかく、
「(児童文学学校のおかげで)気づけてよかった」
という話です。
絶対的ベストかどうかは、まだわからないけど……「これでいいのだ」と今のところ感じています。
書き直そう。
・・・
ところで、昭和のアニメ(テレビ漫画と呼びたい)では「巨人の星」の「重いコンダラ」が有名(?)ですが。
(整地ローラーを引く主人公のカットと「♪おもいこんだら」という歌詞が重なっていたから、ですよね? あのローラーのことを「コンダラ」と呼ぶのだと思った子が多々という、都市伝説的な)
わたしは「天才バカボン」の主題歌で「♪天才一家だ」と聞くと、あの家族が海に浮かぶ筏に乗っている(漂流している?)絵を思い浮かべてしまって……未だに消えません。