最近、いくつかの講評を書く過程で思い出したことがあります。
「本を作る(出版する)」って、本当に「細かい作業」だよなぁって。
「通常はカタカナで表記しますが、ここ、ひらがなのままにしますか?」
みたいな、編集部からの確認がよくあったし。
担当編集者さんと、ゲラをはさんで、一か所ずつチェックポイントをつぶしていったこともあったし……。
自分自身(原稿を提出するまでに)単語単位で悩んだりしている……わたしなりの「答え」が原稿になっている……それでも、編集さんとの「単語単位の攻防」になります。
単なる「ミスの修正」ではなく、「より良い言葉を見つけられるか(より伝わる表現にできるか)」という闘い(?)をするのです。
そう……書く段階でわたしも(自分の中で)攻防してる。
この語は漢字で書きたいとか、これはいつでもひらがなで表記したい単語だ、とか。
「ザーザー」と「ざーざー」は違う音だよね? とか。
ここぞというところではオリジナルなオノマトペを(作って)入れたい……さらりと読んでほしいシーンはありふれた「音」で流そう……とか。
読点や三点リーダーを入れる位置で悩むのも、日常。
こだわるよね。
「こだわり」には「些細なことを気にしすぎる」的な誉められない意味も、「妥協しない・追求する」という前向きな使われ方もあるけど、一応、後者です。
・・・
受講生さんの原稿の添削をする際も、同じように単語単位でこだわってしまっている……かも?
「gotomiwa、細かいな」と思われたこともあるかもしれません。
が。
正直にいうと、わたしは作者さんに「こだわってほしい」と思ってます。
正確にいうと、「もっとこだわっていいんじゃない? 遠慮せずに、さあさあ! どんと来い!」かな。
「こだわり」だから、作者さんとわたし自身の感性が合わないことがある……そんなことは気にしません、「合わないことがある」のは当然だもん。
「gotomiwaの気に入るように書く」なんて、ナンセンス。
こちらも「わたし、この表現、きら~い」みたいな添削をすることはないよ……そのつもりです。
否定するとしたら、「この表現では誤解されないか?」と思うときとか。
あるいは「作者は昭和の人かな」と思うときとか(最近よくあるのは「男だから」「女なのに」的な記述など)。
前述のとおり、わたし自身も自分の原稿の中で「伝わらないよ」と編集者さんにチェックされることを「やらかしている」のだけど……
「わたしは」にするか「わたしが」にするか、そんな一文字についても、常に考えてはいるのです。
単語単位で……一文字しかない助詞でさえ、ちゃんと考えて答えを出しているんだなと感じられる原稿を前にすると、やっぱりうれしいです。
(テーマとか構成とか、見るべき要素はいくつもあるので、「こだわってるなぁ」イコール「いい作品だなぁ」ではないのですが)
というわけで、もっともっとこだわろうじゃないか! というご提案でした。
(わたしも、こだわりつつ、ちゃんと自分の作品と向き合いたい。あいかわらず、添削講評メインの生活です)←それ自体は楽しいんだけども。