11月2日は結婚記念日だった。
ということを、わたしは午後になって思い出し、夫は夕食のとき口にした。
めずらしい。
近年は「前日までは(思い出して)覚えているのに当日は忘れている」が恒例だったのに。
いわゆる「同居の嫁」になったのは長女の出産後なので結婚記念日とは関係ないのだが、そして、ときどきブログにも書いているのだが、そのころから徐々に習慣化して家族構成が変わった今もわたしの中でガチガチの「縛り」になっているのは、
「午後5時に夕食の支度をはじめる(はじめなくてはならない)」
ほとんど強迫的に。
これは「午後6時には夕食ができている」とほぼ同義。
ゆとりがあることもあれば急ぐこともあり(献立等によって日々変わるし、予断はできない)……後者のときは脳内に「料理の鉄人」のテーマ曲(っていうか、あれは映画の曲だね)が流れたりする。
どうしてそうなったかは「嫁の愚痴」みたいになってしまうので割愛するけれど、とにかく「そういうことになっている」のだ。
5時までに帰宅できないときは(心配されないように)「ちょっと遅れます」と義母に電話するし、夕方にzoomがあるときは(家にいるけれど「いないも同然」なので)先に夕食の支度をしておくことになる。
……とまぁ、どう書いても愚痴っぽくなってしまうけれども、この家でのこの生活がわたしの健康を守っているんだな、と実感していて。
(あと、童話作家としても役立っている……話すと長くなるのでこれも割愛)
そんな「良い面」もあるわけです。
でもさ。
「呪い」は自分でとくべきだよね。
と、何度も思っているのに、今朝もまたしみじみそう考えているの。
キッチン関係の8割くらい、今はわたしが「管理人」なんだから、いいんだよねって。
(義母も自分の食材を持っていたり調理したりするので、わたしが10割ではないの)
家族に相談もせずに(置き場所だけ検討して)ホットクックを増やしたのも、二台のホットクックをフルに使うために模様替えを敢行したのも、夫に「欲しい」「買います」と宣言して専用冷凍庫を導入したのも、今、ホームフリージングのシステム化のために保存容器を増やしまくっている(使用感を試している)のも……。
キッチンの「主権」が自分に移っているから。
(実は、災害時の炊き出しでもない限り使わないであろう大鍋や古い蒸し器を「無断で」物置に移動、という模様替えもやっちまった。義母のものだから廃棄はできないけど、キッチンに死蔵する意味……一部を塞ぐ理由はないと思って…31年目の反乱(^o^)/)
義母が使用中に追い出してまで……ということは決してしないけれど、空いている時間にわたしが料理して……いいんだよね。
「毎日午後5時から夕食の準備……」に縛られなくても。
(午後6時には夕食開始、というのは自身の健康のためにも守りたい……9時に寝るわたし)
わたし(の精神)が縛られたままでは、ホットクックや冷凍庫、真空保存容器が泣くよね。
(「ぼくたち、わたしたちの存在意義は……(/_;)」)
今日は一日、任務。
帰宅後にぐんにゃり過ごせるように、今から夕食を準備します。
早朝は「空いてる」んだもんね。
そう、午後5時じゃなくてもいいじゃない。