(何だ、このタイトル?)
いくつかのルートで講師の仕事をさせていただいていますので、手元から「お預かりした作品(や課題原稿)」がなくなることがありません。
「ありません」と言い切っていいか……疑問ではありますが、現時点でも9件?
添削中、講評の推敲待ち(寝かせてる)、未読などなど、9名分、お預かりしているのです。
これまで(みなさんが)うんざりするほど申し上げてきたように(すみません、すみません)わたしは添削すること、講評を書くことが大好きです。
大好きだけど、新たな原稿を手に取るのをためらうことはあります……ときどき。
「読んで、何も感じなかったらどうしよう」とか。
「わたしだって、仕事がイヤになる日があるかもしれないじゃん」とか。
イヤになる日があるかも……といっている時点で、イヤになったことがないわけで、われながら「何をいっておるのだ」と呆れますが。
原稿って、紙の上に並ぶ文字なんですよね。
イラストなら一瞬ですみずみまで見渡せるのに、文章作品は読みはじめ、その世界の中に入らないといけない……。
その、スーッと息を吸って、潜水をはじめる感じ……その瞬間が「ちょっとつらい」のかもしれません。
でも、入ってしまえば、ちっとも苦しくなくて、時間を忘れて添削していたりします。
はじめてしまえば続く……いわゆる「作業興奮」の状態だとは思うのですが、
「わー、この作品、絶対よくなる!」
って思うときなど、もはや、単なる「興奮」ですよ。
添削ハイ、と呼んでもいいでしょうか?
(ゆえに、「わたしだけが楽しいのかも」という不安も常にあります)
そんなことを書いていて、思い出しました。
わたし、自転車の「ちょんちょん乗り」ができないんです(「できないこと」を思い出したわけじゃないですよ)。
この呼び方が通じるかわかりませんが、年配の女性がよくやっている、片足をペダルに置いて、片足で助走してからサドルに座る、あの乗り方です。
わたしはそれができないので、必ず、またがってから「えいやっ」と、ひと漕ぎ目を踏み込みます。
そこには、大きな力が要ります。
体重をかけて踏み込む……ときには、ほぼ立っていたりもする。
でも、進みだしたら、足を休めても自転車が進むほど楽になって、楽しくなって、漕ぎつづけて……ハイに。
これは「ランナーズハイ」と同じだと思います、カラダを動かすことで起こるから。
自転車の漕ぎだしの「えいやっ」が、初めて読む原稿を手にするときみたいだな……そう感じたことがあるのを思い出したんです。
確かに、しんどい。
その瞬間は。
なのに、そのうちハイになるのですよね。
カラダを使うわけじゃないのに……自転車ハイに似ている……。
老女なので「あと何年この仕事ができるのかな」って不安は常に胸の隅に漂っています。
いつか自転車に乗れなくなる日が来るように、添削も……。
「えいやっ」からハイへ……この感じを楽しめるうちは、「添削講評が好き」って公言していてもいいかな?
「えいやっ」ができなくなったり、「作業興奮」も「ただの興奮」も起こらなくなったりしたら、そのときこそ引退です。
(あと、あまりにも添削がひどくて「くび」ということだって、あるかもですね、うわああん( ;∀;)