今月末、今年の福島正実記念SF童話賞(通称・福島賞)の締切が来ます。
大賞が出ないと贈呈式が行なわれないので(出会いも再会もない! 淋しい!)その意味でも「大賞に推せる良い作品が応募されますように」と思っています。
そんなgotomiwaは選考委員。
先日数えてみたら、もう15回くらい(なんで曖昧?)選考をさせていただいておりました。
応募された方は選評等で、受賞作品と「惜しかった作品」についての講評を読むことができます。
わたし自身に良い選評が書けるかどうかは脇に置いて(すみません)一般論的に、「選評って勉強になる」と……公募時代、各童話賞の「選評」で学んでいたわたしは思っています。
また、これは言うまでもないですが、受賞作を読むことも参考になると思います(刺激にもなると思います)。
ここまでは、多くの方がしているでしょう。
でも、選考委員として……選考する側になって……気づいたことがあるんです。
「これもきっと役に立つ」
と思えることが。
絶対に実現できないけど。
それは落選作……一次で落ちてしまう原稿を手に取ること。
「ああ、これをやったらダメなんだ」とか。
「ここをこうしたら、もっと上に行けたかも」とか。
落選の原稿を見て気づけることも、いっぱいあるんじゃないかな、と。
とはいえ、上に書いたように、それは実行不可能なので……。
今、応募作を書かれている方には、
「あら、わたしの原稿、ここがこうだから落ちるんじゃない?」
なんて、イジワルで冷たい、他人の目になっていただくのもいいかもしれません。
(「かも」と書いているのは、応募者としてのわたしは「あ~、この作品、カンペキ! きっとわたしが大賞~!」と、ハイなままで応募してしまうタイプだったからです)←あははは~
作者が「んー、ちょっと引っかかるかな……つまずきそう?(でも、飛び越えてくれるよね?)」と感じる部分は、読者にとっては「地割れ」なのです(そこで落下して終了~、みたいな)。
これは(仕事になってから)自身がよく体験します。
「引っかかるかな? ううん、大丈夫だよね」
と思ってしまった個所は、必ず編集者さんからのチェックが入ります。
見過ごされることはありません。
たぶん、地割れ並みに(!?)目立つのだと思います。
応募される方は基本「ご自身で判断するしかない」と思いますので、「自分に冷たくなる」のは、ときには有効……ではないでしょうか。
名作できちゃった~♪ で終わっていたわたしがいうのも説得力に乏しいですが。
(いえ、自分の作品にハイになれること自体は大事だと思うんです。でも、醒める時間もあるといいかも……ってことです)