9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

「夏は終わる」と信じて

せっせとゼリーを作っています。

この夏、かなり頻繁に作っていたのだけど、最近暑すぎて(面倒で)……。

 

でも、ゼラチンや寒天のおやつは、冬には「食べたい」と思わなくなるのが常なので、余らせたまま賞味期限を迎えることになりがち。

…という過去の失敗例を思い出し、「せっせとゼリー」なのです。

 

もうすぐ夏は終わると信じています。

だって…… 

田んぼには稲の花が咲きだしたし(それを目で感じる、花粉症です)、夜は虫の声がしているし、午前中はエアコンなしで過ごせるようになってきたし、アブラゼミも消えた……ツクツクホーシがスタンバイ中のはず……

 

というわけで、冷蔵庫を塞いでいる、おやつの寒天菓子(ところてん等)も食べねばなりません、せっせと。

 

ゼリーといっても超・簡単なもの。

カップの中でインスタントコーヒーとゼラチンを溶かし、牛乳を足して冷蔵庫で冷やしたら「カフェオレ・ゼリー」←ドラえもんの秘密道具的に読んでください。

セージに嫌われるわたし

窓辺のミニ・ミニトマトは小粒とはいえ50個ほど収穫できているくらいに元気なのですが。

 

庭のプランターに飢えたセージの苗は、真っ先に溶けてなくなってしまいました。

まさに、そう表現するしかないくらい。

あっという間に、跡形もなく。

 

ネットで苗を見つけたので買い直し(時期が遅くて、あまりいい苗じゃなかったけど)土もコンテナも新しくしてみたのですが、雨続きで植えるのも遅くなり……

 

第二弾も瀕死の感じです。

写真は、伸びきってしまった中央の茎を切ったもの。

根元から育ってきている新しい葉を育てたいと思って(でも、あやうい)。

 

このあと、葉っぱは揚げて食べました。

最初に育てたのと合わせて、今年は2回しか食べてない……

セージの天ぷら、好きなんですが。

 

なぜに今年は、セージに嫌われてしまったのでしょうか。 

次回は、もっといい時期にトライしようと思います。←食い意地

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生けてあるのは(たぶん)ケーキ屋さんから。和風スイーツが入っていた器です。

 

歌いたいの。

もう何か月も、歌うことなんか忘れていた気がします。

そもそもわたしは「歌う人」じゃないんだから、別に歌わなくてもいいんだけどね。

普段、そんなに音楽を聴くタイプでもないし。

 

でも、先日サーキュレーターの一本調子な強風に吹かれていたら、自然に一曲、歌っていました。

きっと風が声を吹き飛ばしてくれる(近所迷惑にはならない)と、そのときは思ったけど、実際はどうだったんだろう。 ←窓は開いてた(/ω\)

 

家で口ずさんでいれば十分だから、ひとカラは行かなくてもいいやと(コロナ禍の前から)遠ざかっていたけど、久しぶりに思いきり声を出したい、とも思ってしまいました。

 

ちなみに、いま歌いたい(その前に覚えねば、な)のは「感電」(米津玄師)です。

(「MIU404」のおかげでずっと脳内でテーマ曲の「感電」が鳴ってるから「外に出したい」気持ちがある)

 

そういえば、ひとカラのとき必ずウォーミングアップに歌うのが「恋」(星野源)だったから、その連想もあってカラオケ屋さんの映像が浮かぶのかなぁ。

(星野さんは「MIU404」の主役のひとり)

 

とりあえず、わが家も近隣住民も窓を閉めきる、寒い季節を待とう。

トランクひとつだけで…

浪漫飛行するわけではなくて。

 

これまでに何度も口に(文に)しているのですが、わたしの「めあて」のひとつは、

「年老いて、死ぬとき、持ち物はトランクひとつ分」

なのです。

(今すぐミニマリストになりたいわけではないです)

 

三日間、あちこちを片付けてみて(ゴミ袋は5つになって)ちょっと絶望しています。

まだまだ「片づけた」とはいえない、と。

 

模様替えの結果、積まれた本などが常に目に入ることになってしまいました。

今回手をつけられなかった古いノート類も残っています。

 

でも、明日からは仕事に戻らねばならないですし。

(っていうか、無限すぎて、片付けにあきてきた…)←こら

この夏、最大級のひどいアセモもできて、治らないし。

(エアコンがない部屋の模様替えって、体温超えの日にしてはいけないのだな…)

 

とりあえず「ゴミ袋5つ」で一段落としますけど、引き続き「トランクひとつ」を目標にがんばっていきます。

このぶんじゃ150歳くらいまで生きなきゃ実現しなさそうで、それも困るので。

601記事目「さようなら感熱紙」

あとから気づいたのですが、昨日の記事が600個目だったそうです。

 (はじめのうち、一日に複数回だったり書かない日があったりしたので、開始からの日数と記事数は合っていません)

 

おつきあいくださるみなさん、本当にありがとうございます。

 

・・・

 

片づけ大会は続いています。

すでにゴミ袋3つ分完了。

もっとも、そのひとつはシュレッダーにかけた紙類なので、嵩が大きいだけですが。

 

パソコンまわりに溜めこんでいた(踏ん切りがつかなかった)ものを、今回は思いきって処分しています。

 

引き出しの奥からは、何枚もFAX用紙が出てきました。

友人たちの入賞報告です。

「さっき(賞の主催者から)電話が来ました!」みたいなことが書いてあるの。

 

児童文学(童話)を書く友人たちとFAX文通みたいになっていた時期があって(まだケータイやネットは一般的じゃなかったころです)やり取りはいっぱいしたのですが、今でも保存していたのは入賞報告だけだったのです。

 

当時のFAXだから感熱紙だし、大半の友人はすでにプロになり、ごく一部は書かなくなり……で、取っておくのも変だよなぁと思って、とうとう処分しましたけど。

読み返したらわくわくが伝わってきて、新鮮な気持ちになりました。

あと、こんな大事なことをわたしに知らせてくれてありがとうって……。

 

感熱紙といえば、自分の作品リストみたいなものも出てきました。

こちらはFAXじゃなくて、ワープロですね。

ですから、まだ3つ目のワープロ(文豪)が現役だったころのリストです。

 

どうしてそうなっているのか思い出せないのですが、作品ファイル名と冒頭の20文字くらいが一覧になってプリントアウトされているのです。

ファイル名の横に実際の作品タイトルが赤ペンで書きこんであって、その赤だけはくっきり残っているけど、文字のほうはおぼろ。

透かして読んだわたしの記憶も、おぼろ。

よく覚えている作品と「これ、何だっけ?」なのがあります。

 

たぶん……ほとんどのデータは救いだせずに消えているだろうな。

ワープロからパソコンへ、コンバーターソフトは買ったので、

「文豪→パソコン」

はある程度できたけど、

「(文豪の前任者)キヤノワードα→パソコン」

はダメで。

ワープロを買い替えた時期やワープロからパソコンに替えた時期の原稿はかなり、電子の海に消えてしまったと思います。

 

ま、しかたない。

そういう変換の時期だったのだし。

今日も「思い出なんかいらん」でがんばります。

 

(余談だけど、これがトラウマ的にあって、今でもWord等のワープロソフトが苦手なんだと思う。テキストファイルなら使う機械を変えても困らない、というアタマで。きっと最近はバージョンやソフトの違いくらいでは困らないようになっているのでしょうけど)

 

 

金曜土曜の二日間、ほとんど家から出ていないのに(外出はゴミ出しに往復100歩くらい)二日とも歩数は6000近く。

(わたしのしぶい歩数計、しぶ子の計測です)

三日目の朝には、ふくらはぎが攣りました……(痛)

「思い出なんかいらん」@20年ぶりの模様替え

夫が泊りがけの用で出かけたので、数日前にふと思いついた「模様替え」を断行しました。

いや、過去形じゃない。

断行中です。

パソコン部屋も夫の部屋も、わたしのモノだらけで「えらいこと」になっています。

 

数日前に思いついたとき、メジャーであちこち測ってみて、一度はあきらめました。

「この配置は無理では?」と思えたからです。

 

でも、夫はいないし(モノが広げられる)、ダメなら戻せばいいし……

「大掃除」と言い張ることもできるし……

なにより、思いついてしまったら実行しないと気がすまないタイプ。

 

デスクトップの位置を変更するのは、約20年ぶりです。

最初のパソコンを買ったとき、家族に完全に背を向ける配置だったので、幼かった下の娘に叱られまして。

(おかあしゃん、こんぴゅーたーばっかりしてる!)

 

で、90度回転。

お互いの顔が見やすいよう「横向き」の配置に変更して、そのまま約20年……だったのでした。

 

その間、模様替えなんて思いつきもしなかったのですが、webミーティング用にsurfaceを置く机(これも下の娘のだわ)の配置換えをしたせいかな……

「変える」という意識が頭の隅に芽生えたのは。

 

今度はまた90度回転して、室内に顔を向ける位置です。

そのうえ、ディスプレイは家族から見えにくいという……最高じゃん、なんで思いつけなかったんだ? みたいな配置です。

(ときどき、見られたくない文書やページを開きっぱなしにして離席してしまうことがあるので……)←あとで「ひーッ」ってなる

 

模様替えによってモノの置き場所が少し減りそうなので、ついでに(いわゆる)断捨離もしています。

下の娘の大学の学費の振込受領証とか、低学年のころの母への「お手紙」とか、発見するたびに彼女に写メして、きゃあきゃあ♪いいながら。

 

大きなものは動かし終わったので、土日、2日かけて、いろんなものを捨てていきます。

これまでとっておいた古いアイデアノートとかも、ごっそり処分するつもりです。

もう書いてしまったか、もう書くことがないか、そんなものばかりなので。

 

「思い出なんかいらん」稲荷崎高校(ハイキュー!!

「プロ」とは?

デビュー当時、同好の士というか同業の新人同士というか、いろんな人と、

「どうなったら『プロ』なんだろう?」

みたいな話をしたものです。

どうなったら、自分をプロだと思えるのか、人からもそう呼ばれるのかってことです。

 

・商業出版の単著が出たら?(新人賞デビューの場合、その作品を書いた時点ではアマチュアなんだけど)

・依頼が来るようになったら?

・依頼を「こなせる」ようになったら?

・原稿料や印税がもらえる人はみんなプロ?

・それで食べていけるようになったら?(わたし、これ、無理ですが)

・大ヒット作を出すなど、世間に認知されたら?(「デビュー作の一発屋」でも?)

・ある程度の年月、出版の仕事が続けば?

などなど。

 

「それだ!」

と、うなずきあえる答えがないまま、いつのまにかそんな話はしなくなりましたが、最近、ひょんなことから、当時の議論(?)を思い出しました。

 

今のわたしなら、どう考え、どう答えるかなぁ。

 

ごく個人的には、「存在を覚えられたら(思い出してもらえるようになったら)プロ」ってことにしてもいいかな、って気分。

存在感の薄さには自信がありますので! ←どんな自信か

 

もしかしたら、誰かとそんな話をしなくなったら……自分の中に「わたしの答え」を作れるようになったら「プロ」なのかもね。