童話教室がはじまりました。
アクシデントがあったわけでもないので後日譚など不要かなと思ったのですが、まぁ、ちゃんと着けて、ちゃんと帰れたというご報告だけ。
(アクシデントはなくても「日傘を忘れる」という痛恨のミスはありました。時刻的・方角的に日蔭のない道を歩かねばならないのです。あと、ちゃんと水も持って出かけねば……5月は「夏」であります、まぎれもなく)
みなさんの話を聞いていて「あ、わたしがヤバい(昭和の用法的に)」と思ったのは、
「自分の書いたものがつまらない(と感じる)」
と、おっしゃる方が何人もいたことです。
その作品の出来がどうなのか……他人が評価したら「おもしろい」かもしれないし「ひどいな」かもしれないし……という点は脇に置いて、作者自身は……作者だけは自分が書いたものを、
「おもしろすぎる」
「さいこー」
「名作だわ」
「わたしが大賞ね」
などと思えるほうがいいでは……?
そう思えるけど、読んでくれた人にとってどうなのかは判断つかない、自信はないというのならわかりますけれども。
「わたしが大賞ね」は公募時代、しょっちゅう思ってました。
結果的に一次も通らない作品だったときも。
当時の座右の銘は、
「作者自身が感動できない作品はスカである」
だったものね。
(ほんとに紙に書いて、机の横の壁に貼ってた)
書きたいものが書けたとき、いつでもハイになれた……読み返しても「自分の匂いのするブランケット」という感じで、快適だった……。
「つまらない」と思ったこと、あったかな?
読み返してみて「このころは下手だったなー!」っていうのはあった(多かった!)けど、そう感じるのは『進歩の証』と思ってた(楽天家か?)。
「今ならこう書くのにな~」ですんだ、というか。
(自分が書いたものが)「つまらない」って、どんな感じだろう。
創作歴が長くなると(書き慣れると)ちょっとした思いつきでも「作品」に仕立てることができるので、愛着が湧かない的な意味の「つまらない」とか。
→「思いつき」程度のことを、その程度のまま作品にするのはやめたほうがいいなー。
「書きたいこと」は見えているのに、筆力(表現力)が追いつかないこともわかってしまって、できあがったものが「つまらない」とか。
→トレーニング次第で改善する可能性が充分ありますよ~。
自身に求めるレベルが上がってしまって(客観的にはちゃんと書けていても)「まだまだ、ダメじゃん」と思えて「つまらない」とか。
→レベルが上がりつづける人は永遠に「まだまだ」かも。その状態に「慣れるが吉」かも。
単なる謙遜で、「わたくしの作品なんて、つまらないものでございますのよ」みたいな意味だったりとか。
→こらこら。
その他いろいろ。
理由はそれぞれ。
「つまらない」という一語の奥にあるものは、人によって違うんだと思います。
だとすると「つまらなくない」状態に方向転換する方法も、各自ちがうのでしょう(「謙遜グセをやめなはれ」ですむ場合だって、ありえます)。
どうすればいいのか(そもそも、どうにかできるのか)は現時点ではわからないけど……ずっと見つからないままかもしれないけど……
「このオチにたどり着けた自分、天才!」とか。
「この名文が自分の中から出てきたなんて、感動しちゃう」とか。
「このタイトルのセンス、おもしろすぎる~」とか。
一部分でもいいので、うっとりできるようになるといいかなぁ、なんて思います。
(上記、全部、わたしの実例)
「つまらない」を減らすべく、引き続き考えていきます。
この教室の正式名称(?)は「楽しい童話教室」ですもんね。