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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

20年前の作品を反省する

昨日、富士山のことを書いたら、「そういえば、あの入選作品、タイトルは何だっけ?」と気になったので、古いデータを探しに外付けハードディスクに潜りこんできました。

 

公募時代はパソコンを使っていなくて、そのころ原稿を書いたのはワープロ「文豪」(この名前、はずかしいよね)。

かろうじてテキストファイルを作る機能はあったので、そうやって保存できたものだけが、今でも読めるのです。

(そうじゃないものは、電子の海の藻屑になりました)

 

記号のようなファイル名の中から探しだして、やっとタイトルも思い出しました。

読み返したらおもしろかった(内容が、ではなく)ので、20年の時の隔たりをまとめておきます。

 

まず、時代的なもの(これは、まぁ、しかたない)。

・いうまでもないけど、「ケータイ」「メール」というものが存在しない。

・看護師ではなく「看護婦」という呼び方。

・入院する部屋の入口に、現代なら名前を表示しない(ことがある?)のでは。

・切り花も、衛生面(花瓶の水の)から禁じることがあるそうです(整形外科でもそうなのかな?)

 

当時とのスタイルの違い。

・当時の作品はみんなそうだけど、わたしの文には読点が多い。多すぎる!

(今でも初稿は多くて、気づくと消したり、読点不要な表現に変更したりしています)

・「私」という一人称は、今ほとんど使わない。

(たいてい「わたし」。「私」はひらがなにすると「わたくし」なのだとか)

 

内容面。

・骨折が腕だけなら入院までするかな? という疑問。直後なら、「あり」か?(家で面倒を見られない、ということなのかも)

・その他。

(いちばん大事な部分なんだけど、いわば「講師としての企業秘密」に近いので略します)

 

自分の作品は、年月がたっていても90%くらい愛せる(許せる)。

でも、「ぎゃー、当時の自分、いやー!」みたいな部分もあるんですよね、クセとかを見つけてしまって。

20年分ヘタだ、といいたいけど、20年分うまくなっていないという現実が…。

 

表彰式の際に選考の先生が言及して(評価して)くださったけど、当時からビジュアル的なことにはこだわりがあったのかもしれません(そんな意識をせずに書いているけど)。

わたしが講評でよく「これ、絵が見えないよ」というのは、自分自身が見えるように(というか脳内で見ながら、それを言葉にするように努めて)書いているからなのでしょう。

成功しているかどうかは別として。

 

 ・・・

 

どなたでも見られるのかどうか、わからないのですが……

facebookの「ノート」というところに貼ってみました。

興味があったらのぞいてみてください(原稿用紙にして30枚ほどの作品です)。

 

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