早朝、添削の仕事を仕上げて、ポストに出しに行ってきました。
その時間に行くのは(家族が在宅していて)玄関以外の戸締りを気にしなくていいから。
そして、多少は気温が低いからです。
朝からひと区切りがついて、うれしいなぁ……。
と思ってはいけない!!
絶対、昼間だらだらしてしまうから。
「早朝もだらだらした」よりはずっとマシだけど……だけど、それじゃダメなんだ。
わたしも以前、児童書を出したことがあり……いちばん出ていたときは「年間5冊を3年間」みたいな感じだったんだけど、そのころって、今は亡き義父がよく入院したり(救急車を呼ぶのが得意に…)子どもたちが小中学生だったり(PTAもやってたな)……たぶん町内会の役員も当たったはずで、どう考えても今よりうんと忙しかった……はず。
子どもたちの手が離れて自由な時間ができたら、と思っていた……はず。
なのに、そんな日が絶対的に増えた今(「365日ずっと自由」とは言いませんが)なんで、何もできないんだろう。
時間の使い方が無駄すぎるというか……。
老化ゆえなのか、「時間がないときのほうが力が湧く」という習性なのか。
老化だとしたら、もう取り戻せないのか。
今年がんばりたいことがある。
少なくとも3つ。
・もう一作だけ長編児童文学を書きたい(取材済み)
・エスペラント語の中級講座を修了したい(昨年よりスピードが上がってはいるけど、12月修了は無理かも?)
・趣味のシリーズの、ほとんど書けている最新話をちゃんと書きあげてリリースしたい
どう考えても、時間は「ある」。
必ず「ある」。
それ以外の部分で……「精神力で?」……何とかするしかない……。
Kial mi perdas mian tempon?(なぜわたしは時間をなくすのか)
とGoogle翻訳で書いたら、こんな日本語訳が出てきた。
「なぜ時間を無駄にしているのでしょうか?」
そうだね、単に「なくしてる」んじゃなく、「無駄にしてる」んだね(/_;)