9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

創作教室が中止になったので。

今月、わたしの最後の担当回があるはずだったんですが、感染など起きてはいけない、ということで中止になりました。

受講されたみなさんにお会いできる最後の機会だったのに、と、残念でたまりません。

(中止自体はやむを得ないと思っています)→ウイルスめー。

 

創作教室は合評が中心ですが、今回は講評のみお届けすることになります。

(ごらんいただくほうが早いので、一部、添削した原稿をお返ししたい方もあります。改めてご連絡します)

 

担当回がはじまった初期に「絶対時間が足りないし、伝え漏らしができるだろう」と思って、講評をメモしていったことがあるんですが、口で伝えるのの補助としての講評(メモ)と通信講座で書いているような講評は、長さから見てもベツモノなので、どの程度のことが書けるのか……不透明。

 

その場で話すのと文章にまとめるのとでは、「伝えたいこと」は同じでも、すること(作業?)は全然違うんだなぁ、と実感しています。

もちろん、書く分だけしんどいです。

 

顔を見ながらじゃない(正しく顔色をうかがう、みたいなことができない)ので、伝わったかどうかも、わたしが読み違えているのかも、わからないまま講評することになるし……。

あ。

わたしがよく、マンツーマンで、向きあって添削講評をやりたい、といっているのは、「ラクしたい!」(書かなくてすむから)

ということなのか!?

(か?)

 

「しんどい」とかいってしまいましたが、実は、講評を書くこと自体は楽しみで。

楽しみで楽しみで。

ぶっ倒れるくらいやってみたい! と思っているのです。マジで。

もう脳内にはいっぱい言葉が詰まっていて、「早く指から出せ」と押し合いへし合いしている状態なの。講評バカです。

 

 

ただ…。

通信講座の講評は、下準備をして(原稿を読んでメモを取ったり)草稿を書いて、何度か推敲して清書して(途中「寝かせて」)さらに音声読み上げや音読でチェックして…プリントアウトに赤を入れて…って、それなりに日数をかけているのです。

 今日から三日間で十数作。

講評が書けたとしても、誤字誤変換とか意味不明文が紛れるとか、ありそうです。

(すでに言い訳しています)←潔いな。←?

 

よし、がんばろー。

誰の作品からいこうかな?