今月、わたしの最後の担当回があるはずだったんですが、感染など起きてはいけない、ということで中止になりました。
受講されたみなさんにお会いできる最後の機会だったのに、と、残念でたまりません。
(中止自体はやむを得ないと思っています)→ウイルスめー。
創作教室は合評が中心ですが、今回は講評のみお届けすることになります。
(ごらんいただくほうが早いので、一部、添削した原稿をお返ししたい方もあります。改めてご連絡します)
担当回がはじまった初期に「絶対時間が足りないし、伝え漏らしができるだろう」と思って、講評をメモしていったことがあるんですが、口で伝えるのの補助としての講評(メモ)と通信講座で書いているような講評は、長さから見てもベツモノなので、どの程度のことが書けるのか……不透明。
その場で話すのと文章にまとめるのとでは、「伝えたいこと」は同じでも、すること(作業?)は全然違うんだなぁ、と実感しています。
もちろん、書く分だけしんどいです。
顔を見ながらじゃない(正しく顔色をうかがう、みたいなことができない)ので、伝わったかどうかも、わたしが読み違えているのかも、わからないまま講評することになるし……。
あ。
わたしがよく、マンツーマンで、向きあって添削講評をやりたい、といっているのは、「ラクしたい!」(書かなくてすむから)
ということなのか!?
(か?)
「しんどい」とかいってしまいましたが、実は、講評を書くこと自体は楽しみで。
楽しみで楽しみで。
ぶっ倒れるくらいやってみたい! と思っているのです。マジで。
もう脳内にはいっぱい言葉が詰まっていて、「早く指から出せ」と押し合いへし合いしている状態なの。講評バカです。
ただ…。
通信講座の講評は、下準備をして(原稿を読んでメモを取ったり)草稿を書いて、何度か推敲して清書して(途中「寝かせて」)さらに音声読み上げや音読でチェックして…プリントアウトに赤を入れて…って、それなりに日数をかけているのです。
今日から三日間で十数作。
講評が書けたとしても、誤字誤変換とか意味不明文が紛れるとか、ありそうです。
(すでに言い訳しています)←潔いな。←?
よし、がんばろー。
誰の作品からいこうかな?