前にもそんな話をしたかもしれませんが。
添削講師gotomiwaが作品講評を書くときって、脳の使い方が「物語」を書くときと同じ………………そんな気がします。←三点リーダー長すぎ。
児文協の講座のほうは受講生さんと「ほぼメル友状態」で、ひとつの作品に何度かやり取りをしたりできるんですが。
(っていうか、しょっちゅう「初読の段階ではここまで。ごめんね」みたいになってますよね……すみませんすみません)
公募スクールは、連続講座であっても各回ごとのやり取りは一往復……こちらからお返しするものも一方通行の一度きりなので、思ったことをできるだけ、ありったけ書こうとしてしまう。
結果、講評が長くなるわけですが……それを考えているときって、作品を考えているときと同じことをしてるんですね、脳が。
昨夜も、ちょっとややこしい講評を書くためにメモを取っていて、起きてからもずっと考えています。
講評の構成を。
ややこしさって何かというと……問題点それぞれのレイヤーが違うというか……。
たとえば、単純ミスの指摘と、(作者の)考え方に関することと、わたし自身の(個人の体験としての)創作方法と…をお話ししたいとき。
どの順で並べれば、作品の改稿に役立つか(相手に受け入れてもらいやすいか)……それらを脳内で(または紙の上で)組み替えたりしているわけです。
先に、結論を書いたほうがいいのかな、とかね(これはケースバイケース)。
まぁ、こんなのは自己満足(わたしだけが満足するだけ)の、間違った努力かもしれないのですが。
実は、この記事を書きながら、昨夜の講評メモを脳内で整理しています。
うん、だいたいの方向性は見えてきたかな……
昨夜はカオスだったのだけど。
今朝は、かなりマシ。
こんなとき、理科の実験を思い出します。
土とか砂利とかを水の入ったボトルに入れて振ると、泥水ができるでしょ。
でも、置いておくと混ざったものが沈む……層に分かれる……。
しかるべき順番に。
今、そうなろうとしているところです。ダジャレじゃないです。