9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

「真実はいつもひとつ」だとしても、

昨日の今日の話。

自戒を込めて書いておきます。

 

夕食中に、不意に自分の言葉が浮かんできたのです。

午後遅くに、講評に書いた言葉です。

そこだけ太字になったみたいに、文面が浮かんできたの。

浮かんだ瞬間は、なぜなのかわからなかった……いえ、その瞬間は「今日のわたし、ずばり、見抜けたな」みたいな気持ちだったかも。

だけど、すぐに違和感に気づきました。

 

「あなた、こういう状態でこのシーンを書いたでしょ」(読めばわかるのよ、ふふん)

そんな気持ちで書いたせいか、講評の中のその一文が、すごくキツい(当社比)。

明らかに、そこだけトーンが違うというか。

斬った、という感じがある。

 

食後すぐパソコンに戻って、その部分を書き換えました。

 

「読めばわかった」こと自体を「誤解だ」とは思っていません(そういうミスではない)。

確かに、そのシーンには「粗」がある。

そうならないために解決策を提案するのが、わたしの仕事。

だけど、「言い方」ってもんがあるでしょう? >自分

 

たとえ、「読めばわかった」としても……それが正解だとしても……真実はひとつだとしても……その伝え方を間違えたら、相手は萎えるよね。

「あー、なんかもー、創作がいやになっちゃった」

って、なりかねない(わたしなら、なる)。

それ、わたしが願ってること(童話を書いてみましょうよ、いいことあるかもよ)とは正反対の効果だよ。

 

「あ、そうすればいいのか、ちょっと直してみよう」とか「次の作品ではそうしよう」とか、思ってもらいたい……。

そんな講評じゃないと、あかんやろ。>自分

できているかどうかは脇に置いて、それがわたしの講評スタイルなの。

 

その日3件目の講評で疲れていた、なんてのは理由にならないわけで。

まだまだ発展途上だということがよくわかったため、ここに書いておく次第です。

 

ところで、わたしは上記のようなことを願っていますが、心にもないお世辞とかは性格的に書けません。

基本、無愛想。

「ゴマをする」とか「おだててノセる」とか、クレージーキャッツの歌みたいなこと(古い?)をする技術がない。

だから、講評で「この雰囲気、いいね」とか「直すといい作品に仕上がるよ」とか「これ、応募して」とかいうときは、全部本音です。

 

 

余談。

四半世紀前、娘が幼稚園児のとき、遊びに来たお友だちが、

「どうして、おうちにコナンがあるの?」

と驚いていました。

そのニュアンスから察するに、少年漫画(コミックス)を幼稚園児(娘)が買って読むとも、おばさん(わたし)が買って読むとも思えなかったらしいです。

四半世紀後も「ハイキュー!!」をコンプリートしたわよ、このおば(あ)さんは。