このところ(gotomiwa先生として)「個性」のことを考えておりました。
特に、文章(文体)の「個性」について。
そもそも、「個性」って何だ?
わたしも普通に使う言葉だけど……改めて(誰かに)説明しようとすれば、どういうものを指しているのか、よくわからないなぁって身に沁みました。
ただ、考えている過程で気づいた……思い出したことがあるのです。
地元新聞に童話の投稿コーナーがあったころ、数回、かなり高確率で掲載していただけたんだけど(数回しか投稿できなかった、ともいえる(^^ゞ)……そのコーナー、選者が文章を修正することになっていたらしいのです。
文末表現とか、その程度のものだったけど、紙上に載ったものを見て違和感を覚えたの。
「え、わたし、こう書いたっけ?」
って。
当時のわたしは、送った原稿と紙面を突き合わせて変更を確かめるってことはしなかったけど、「ああ、変えられちゃうんだ」ということは強く胸に残りました(別に、わたしがまちがって書いてたわけじゃないのにね)。
選者のシュミに合わされた? みたいな……。
そのコーナーにあまり積極的に投稿しなかったのは、変更されたくなかったから……アマチュアながら「プライド」ゆえ、かもしれません。
仕事で書くようになってからは編集者さんが「勝手に直す」ってことはないので……たった一語を1か月待ってくださったこともあるので……公募時代の、その新聞投稿のことがよけい「特別な体験」に思えるのかな。
たぶん、今も、自分が書いた文章が誰かにいじられていたら、わかると思う。
必ずひらがなで書きたい語、普段ひらがなだけどこういう場合は漢字にしておくという基準、自分が使いどころを制限している文末、読点の打ち方等々……※
「わたしの書き方」があるから。
ごらんのように、わたしの文章はちっとも「個性的」ではありません。
でも、わたしには自分の文章の「匂い」がわかるのです。
好きな「匂い」だから、書くときはもちろん、読み返しても……何度読み返しても心地いい……。
長年愛用の毛布みたいに。
(その「匂い」を受けつけない方もあるでしょう。わたし自身、文章が合わなくて読めなくなった作家さんがいるし)
その「匂い」の熟成(!?)、それが「個性を確立した」ってことなのかも。
うまく表現できませんが、そんな気がしたのです。
どこで見かけても、誰にでも「あの人が書いたんだな」とわかる、という意味の「個性的な文章」ではないけれど……ね。
本当は、そのような意味で「個性的」であるべき?
「自分の匂い」で満足なんて、モノカキとしての志が低い……?
心の隅で案じつつ、引き続き「個性」について考えていこうと思っています。
※ 児童書は、グレードに合わせて漢字の使い方などが決まっているので、
「表記は編集部におまかせします」
としています。
自身が書くときには「漢字で表記しよう」と決めている言葉でも「ひらがなにしちゃ、いや~~」みたいなダダはこねません。