今週は締切と名のつくものが3つほど重なっておりました。
出来はどうあれ(それでいいのか?)3つとも送りだすことができたので、週末だし、「夜は映画でも観ようかな」と思ったのです。
そこで、選んだのが「シャイニング」でした。
これは、読書会の課題になったとき(自分は行けなかったけど)初めて原作を読みまして、「ああ、こういう話だったのか!」とわかったのです。
「シャイニング」って、あの、よく画像が使われている「ドアからジャック・ニコルソン」みたいな部分しか、知らなくて。
(まぁ、あれだけで「怖い話だ」ということは十分わかるわけですが)
あと、水色のドレスの女の子がふたり立ってるところ、と。
でも、映画の中身は観てなかった……観る機会自体がなかった……。
今日のブログ、タイトルに「前半」って書いてあります。
映画はおもしろい(むっちゃ怖い)んですが、さすがに4時起き、睡魔に負けてしまったのです(怖いから途中で止めたわけじゃないもん!)。
「シャイニング」は一般の人にとっても怖いはずですが、原作の時点から、わたしは別の意味で怖くて。
ジャック・ニコルソン演じる彼は「小説を書きたい人」なんですよ(短いものが活字になったことがある、くらいのキャリア)。
「書きたい人」の書けないイタさ、みたいなものが、わかりすぎて怖い…。
わたしにとっては、本当はそこが怖い「シャイニング」。
映画の前半、彼が「タイプの音がしているときは近づくな」みたいなことを奥さんにいうのだけど(やつあたりです)……
共感した!
画面に向かって「だよねー」とつぶやいてしまったわ。
彼は妻子と共に5か月も(冬期、閉鎖された間の管理人みたいな感じで)雪山の上の、「ほかに誰もいないホテル」で暮らすわけですが。
そのホテルがどんなに「いわくつき」でも、息子にどんな能力があっても、彼自身が人気作家で、るんるんタイプを打って、ばんばん小説を書きあげていたら、背後で惨劇が繰り広げられていても気づけなかったんじゃないか、と思ったりしています。
(映画が後半、どうなるのかはわからないです。「背後で惨劇」はモノノタトエです)
今まで、小説を書く者にとって最も怖い映画は「ミザリー」だと思ってたんですが(長編生原稿を破棄されるシーンがある。ひー!)、これは作家自身が「おかしな人」なわけではないのです。
作品が書けなくても、作品が愛されても……たいへんだよね、書く人は。
(どっちもスティーブン・キングだわ、とんでもないわ)
・・・
余談だけど、フランソワ・オゾン監督の「エンジェル」という映画も、モノ書きとして怖いなー、と思った記憶があります。ホラーではないですが。
「書く人」って、ホント……(以下、34文字削除)