9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

原稿は人なり。

年内に期限がある仕事は一応終わっているのですが、年明け(わりとすぐ)に期限が来る仕事がいくつかあるので、「仕事納め」なしのまま新年に突入しそうです。

 

それは主に「人さまの原稿」を読む仕事。

 

今年も100を超える原稿(短編もあれば長編もある)を読ませていただきましたが、よいものに出会うとただの読者のように楽しんでしまうし、たまに……たまにですけども……それを書いた人のことが愛しくなってしまう。

 

(「作品」ではなく)「原稿」と書いているのは、それらがいわゆる「生原稿」だからです。

手書きの原稿、その現物のこともありますが、パソコンで作られていたりコピーだったりして「生っぽさ」がないものが大半です。

それでも、活字になっていないものって、やっぱり違います。

なんていうか……ナマい。

 

内容だけじゃなく、字組みや、使うフォント、用紙の綴じ方、その他いろんなところに「書いた人」を感じるのです。

 

文は人なり」って、いいますよね。

正確にはどういう意味かわかりません。

ただ、「そうかも」とは思います。

「ほぼ生原稿」を手にしていると、その原稿(という物体)が「人なり」って気がするんです。

 

感じてしまうのがいいことか悪いことか、わからないけど。

わたしが感じているものが正しいかどうかもわからないけど。

 

それらに接していると、確かにあるんです。

「これを書いた人と友達になりたい」

みたいな感じが、たまに。

 

読むのも評するのもしんどいことはある。

でも、「楽しい」「好き」と思うものに出会えるので、幸せな仕事なんだと思います、これは。

 

・・・

 

とはいえ、書いた人への好感度と原稿(その内容)への評価は比例しません。

「評価が甘くなる」わけじゃないんですよね。

「ひいき」もなし。

したくても、できませぬ。

人のことをコロッと好きになるのが「素」だとしても、「評者」としてのわたしは別のところにいるみたいな、そんな感覚があるのです。