年内に期限がある仕事は一応終わっているのですが、年明け(わりとすぐ)に期限が来る仕事がいくつかあるので、「仕事納め」なしのまま新年に突入しそうです。
それは主に「人さまの原稿」を読む仕事。
今年も100を超える原稿(短編もあれば長編もある)を読ませていただきましたが、よいものに出会うとただの読者のように楽しんでしまうし、たまに……たまにですけども……それを書いた人のことが愛しくなってしまう。
(「作品」ではなく)「原稿」と書いているのは、それらがいわゆる「生原稿」だからです。
手書きの原稿、その現物のこともありますが、パソコンで作られていたりコピーだったりして「生っぽさ」がないものが大半です。
それでも、活字になっていないものって、やっぱり違います。
なんていうか……ナマい。
内容だけじゃなく、字組みや、使うフォント、用紙の綴じ方、その他いろんなところに「書いた人」を感じるのです。
「文は人なり」って、いいますよね。
正確にはどういう意味かわかりません。
ただ、「そうかも」とは思います。
「ほぼ生原稿」を手にしていると、その原稿(という物体)が「人なり」って気がするんです。
感じてしまうのがいいことか悪いことか、わからないけど。
わたしが感じているものが正しいかどうかもわからないけど。
それらに接していると、確かにあるんです。
「これを書いた人と友達になりたい」
みたいな感じが、たまに。
読むのも評するのもしんどいことはある。
でも、「楽しい」「好き」と思うものに出会えるので、幸せな仕事なんだと思います、これは。
・・・
とはいえ、書いた人への好感度と原稿(その内容)への評価は比例しません。
「評価が甘くなる」わけじゃないんですよね。
「ひいき」もなし。
したくても、できませぬ。
人のことをコロッと好きになるのが「素」だとしても、「評者」としてのわたしは別のところにいるみたいな、そんな感覚があるのです。