なぜかそういう巡り合わせで、大量の生原稿(手書きはごく一部。プリンタで印字したものやコピーしたものが大半なので「生っぽくない」ですが)を読む日々を過ごしています。
こんなとき「自分のための読書」はできないのが常なのですが(脳の空きがなくて)。
先日書いたように、kindleの読み上げで「マーダーボット・ダイアリー」のシリーズを調理中に読む(聞く)というのは続けていて……。
へたっぴー(失敬)な朗読にもかかわらず、笑ったり胸キュンになったりしていて……いや、ほんと、好きだわ、このシリーズ、また宇宙ものが書きたくなるわ(余談)。
普通の(目で読む)読書だったら両立できなかったんじゃないかなと、興味深いです。
さらに、集中力がゼロで仕事ができそうにない夜は、自分の小説を読みにいったりしています。
(pixivに投稿ずみの作品をのぞくので「いく」という表現になります)
知ってる人しか知らないのですが、2シリーズ(ひとつは全部、ひとつは一部)をアップしていて、先日「一部」のほうのキャラの誕生日(とされている日)だったのを機に、すごく久しぶりにいくつか読んでみました。
すごく久しぶりなのは、ちょっと怖かったから。
30年前とかの作品なので(40年近く前のもあるかも)今の目で読むのが怖かったからです。
でも、結果からいうと違和感なかった……当時と同じ気持ちで読めた……
「自分が書いた」って、こういうことなんだな。
わたしの細胞はあれから何度も「総入れ替え」になっているはずだけど、変わらないものはあるのね。
たまたまなのか、主人公たちが泣くお話ばかり読んでしまって……しみじみ思った。
♪男は涙を見せぬもの、見せぬもの
と歌われていた時代に(「ただしアムロに限る」じゃないよね?)わたしはわりと平気で「涙を見せる男(少年)」を書いていたんだなぁって。
それはもう、どちらのシリーズもそうなんです。
「男が人前で泣くなんて」と思っている人には「合わない」シリーズなんだろうなぁ……。
そんなことを思いながら、わたしはただひたすら癒されているのでした。
(もちろん、これもリンクはしません)