わたしは、3本の指に入るくらい「児童書を読まない」児童文学関係者です。
残りの2本がどなたなのかは想像もつかないから、実は業界唯一かもしれないのですけれども。
(ご本や同人誌をお送りいただいても、すぐに読めないことのほうが多いです。本当に申し訳ないですから、通常は「後藤には送らないでね」とお願いしています。同居の嫁で自由にできるスペースが限られ、「本棚」を持っていないという事情もご理解いただけたら……と思います)
児童書はそんなに読みませんが、「児童文学(童話)」は日々読んでおります。
受講生さんが書かれたものを。
今は「手書き」の方が非常に少ないので「生原稿」というイメージではないのですが……なんというのでしょうか、その方の脳内から手を通って出てきたものを「そのまま」拝見しているという意味では、とっても「なま」な感じがあります。
「この仕事が好きなんですぅ♪」っていうたび、作家さんたちからは「変わってんねー」と言われるので、近頃ではそれが楽しくて「わざと」宣言することもあるほどですが、
「いったい何が楽しいのだろう?」
と考えてみると、その理由のひとつは「なま」であること……かもしれない、と気づきました。
その構成に決めたのも、その言葉を選んだのも、受講生(作者)さんである……ストレートにその方の頭の中が伝わってくる……その感じが楽しいのかも。
(書いていて、ちょっと変態チックに見えてきましたが)
出版された本を読んでいると、
「きっと出版社側からの提案で、この要素を付け足してるよね」
と思えてしまうものがあるのです(誤解かもしれません)。
「今どきだから、この要素を入れた本が売りやすい」
みたいな判断なんじゃないかなって(邪推かもしれません)。
だって「付け足し」の部分を抜いても成立すると思われる内容だったりするんだもの。
わたし自身、そういう提案は(ある程度)受け入れてきたし、「そうすれば本になる」と思えば従います。
仕事だもの、それ自体は「あたりまえ」のことです。
(わたし自身が添削時に「この書き方だと今どきは活字にならないかも」という危惧をお伝えすることもあるくらいなので、「作者が書いたことをそのまま発表するべき!」と思っているわけではありません)
でも。
「なま」の原稿を見ると仕事じゃなくても添削したくなるような(大迷惑な)(ビョーキレベルで添削好きな)わたしが、出版された本を読んで、同じように「添削したくなる」ことはないから、やはり、脳内の違う場所で受け止めているんだろうなぁ。
いや、そんなことを話したいんじゃないんだった。
最近、改めて「この仕事が好き」と思ったのは、手にした「なま」の作品がすごくおもしろかったからです。
世界観、言葉選び、「空気」の作り方……
「これを書いた人とお友だちになりたい!」
と思えるような原稿に出会うたび、うきうきしちゃうし、ときには、感動してうるうるもしてしまうのよ。
わたしが「もっと添削の仕事をしたい!」と誰彼かまわず公言している理由、わかっていただけるでしょうか。
(無理か……)