爆発(前記事参照…しなくていいです)以来、それまで脳内になかったアイデアが飛び出してきて…。
かえって立ち尽くしそうな気がします。
東京に行かなきゃ、いや大阪にも行っとこう…って名古屋駅の新幹線ホーム(14、15番線と16、17番線ね)を上がったり下りたしている感じ。
(結局、名古屋から出とらん、みたいな)
落ち着け。
話がちょっと逸れるけど、その「アイデア」問題。
下の画像は、当時シェアしたかもしれないけど、昨年秋の新聞広告です。
ドラマの登場人物だって、こんなふうに愛される人と、そうじゃない人がいて。
何が、どう、違うんだろう。
って思う。
わたしひとりの中でも、違うんですよね。
これまで、いろんな登場人物を考え、書いてきたけれど、
「もう一度、いや、何度でも書きたい、その言動をずっと見ていたい」
と思う人物と、
「結末で世界が閉じて、一枚の写真のようになって、動かない(動かせない)」
と感じる人物とがいる…。
後者の場合は、そのストーリーを進めるための「駒」に過ぎなかったのかなぁ。
「王手」になった盤上みたいに、みんなが動きを止めてしまう…?
長い時間つきあったから前者になる、とも限らないのです。
(前者のキャラは、結果的に長いつきあいになる可能性が高いけど)
一作しか書いていないのに、また会いたい(書きたい)って気持ちになることもある。
久しぶりの再会でも、躊躇なく手を取りあって、
「一緒にやろう!」
って、ぴょんぴょん跳ねることができそう。←なぜか跳ねるイメージ
何が違うんだろう。
「出会った場所」(作品世界)が違えば、登場人物との関係性も変わるのかしら。
人と人とに相性があるように…肉親間でさえもあるといわれるように…作者とオリキャラ(この言葉を使うとなつかしい気分になるわ)にも相性があるのかな。
って考えだしたら、その不思議さに囚われてしまって。
今日は一日じゅう、ぼんやりと考えそうです…
(「一日じゅう、ぼんやり」は通常運転)