先日……日本児童文学者協会の創作教室70期、わたしの最後の担当回が「中止」になって終わった。
69期、70期と、2019年度の一年間担当する創作教室。
2018年、その講師をさせていただくことが決まったころ、わたしはボイストレーニングのために東京・六本木に通っていた。
ボイストレーニングに興味を持ったころ、わたしは「声」を題材にした作品を書いていた。
取材を兼ねてカラオケボックスに足を運び、歌を歌い、
「声って何なんだろう、いったい」
と考えていた。
そもそもわたしは、自分の声が大嫌い。
物心ついてから半世紀、ずっとずっと嫌いだった。
だから、声にコンプレックスを持つ女の子のお話は、心情的に身近だった。
それよりもさらに前、誰かがSNSでシェアしてくれたのをきっかけに、「大槻水澄(MISUMI)」という方のブログを愛読していた。
そのころは、「声」にも「歌」にも特に興味はなかったのに。
彼女は「歌う人」でありボイストレーナーであり、自分とは全然違う世界にいて、全然違う話をしている……それなのに、
「今日のブログって、『音楽』を『児童文学』に一括置換しても成り立つわ!」
と思うことが何度もあった。
何かを「目指す」ってことには、共通点があるんだろう。
こんなふうに熱くは語れないけど、「ああ、わかるぅ」と思っていたのだった……。
・・・
じゃあ、時間を巻き戻すね(この場合は「早送り」? 「早戻し」かしら)。
わたしのことを知っている人は、「ボイトレ受けてて、その声なのー?」とか「歌、うまくないよねー?」とか思うんじゃないかな。
正直、そう思われるのが面倒で、これまで「六本木に通いました」って話したことはなかった。
っていうか、直感と勢いで申し込んだはいいけれど、自分でも「絶対、場違い!」と思って……初回、本当に入口で回れ右したかった……。
だけど今は、回れ右しなかった(そのうえ皆勤した)自分を誉めたい。
同期のメンバーが素敵な人ばかりで、今思い返しても「なんてラッキーなの!」って感動してしまう。
わたしにとっては、プラスしかない日々だった。
ボイトレの成果は、たぶん、他人にはわからない。
「声が見違える(聞き違える)ようになったね!」
とはいわれないし、カラオケにはあいかわらずひとりでしか行かないし。
でも、わたしのカラダは知っているの。
発声が……話すのが楽になったことを。
創作教室は、1回2時間半(それを越えることも、ざら)。
「ややや、この作品の講評はむずかしいわ」という絶句はあったとしても、「声が枯れてもうあかん」ということはなかったと思う。
(受講生さんに聞き取りやすかったかどうかは……自信ない……ごめんなさい)
そして、自分の声について「何も思わなくなった」の。
好き、とまではいわないでおくけど。
半世紀の間、あんなに嫌いでたまらなかったのに、なんと、録音した自分の歌声の試聴だってできるようになったのです!
(バカみたいっていわれそうだけど、これはすごい変化なの。自分でも驚いてる)
わたしでさえ変わるのだから、誰もが変えられるのよ。
変えたい、と望むなら。
適切な助言を受ける機会があればね。
・・・
そのブログを知ったころには「大槻さんという方」だった大槻水澄さんは、今のわたしにとってはMISUMI先生です。
先生のボイストレーニングのようすを垣間見るような青春小説をご紹介します。
(amazonのリンクがうまくいかないので、記事末尾に貼っておきますね)
一気読みしてしまった!
っていえると、かっこいいけど、正直に告白します(ごめんなさい)。
わたし、どうしても我慢できなくて。
途中で一度本を置き、「イマジン」を歌ってしまいました……