今朝、思い出してしまったので、全予定(?)を変更して書いてみます。
「わたしは近年、年賀状を出していない」という設定(ではないけど)を先に書いておきます。
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デビュー前からの創作友だちがいました。
(関係者に気を遣わせてしまいそうなので、固有名詞はなしで)
彼女とわたしは公募時代から顔見知り。
彼女が三重で、わたしは愛知なので、実際にお会いする機会も何度か持てました。
彼女のほうがデビューは少しだけ後だけど、もう20年近く前のこと、現在から見れば「同時期」といってもいいでしょう。
彼女が新聞に載るような賞を得たことで、「この地方の主婦作家たち」というくくりで、わたしもNHKニュースの取材を受け、(ほかに大きなニュースがなかったせいか)複数回放送されたみたいです。←わたしは見ていません
そんなこんなで何度かお会いして……彼女の3冊目の本を作っているころだったかな、ご主人がご病気になって……
入院先の名古屋の病院まで、彼女は電車や車で通っていました。
車で来るときは2時間くらいと、おっしゃってた記憶があります。そんな距離です。
そういう状況だけど、名古屋まで来ているなら会いましょう、ということになって。
ドムジャことナゴヤドーム前イオン(「ジャ」は「ジャスコ」の「ジャ」だと思う)のカフェで何時間かおしゃべりをしました。
楽しいひとときでした。
ご主人は多くの方が命を奪われるタイプのご病気だったので、彼女との連絡が途絶えても「その後、どう?」みたいなことが、こちらからは聞きづらく…。
その後、彼女のことを知ったのは「彼女が亡くなって一年」という別の友だちの投稿によって、でした。
このあたりの流れはちょっと早送りしますが、確か、「最近知りました」といって、お花を送ったと思う……
ご主人からお礼のハガキをいただいたけど、当然ながら詳しい経緯は書かれていず、聞けないので不明のままです。
ご主人は快復されたのに、どうして彼女のほうが? とは思ったなぁ…。
最初に書いたように、わたしは年賀状を出さないようになっていました。
亡くなった当時、ご主人は年賀状(など)をもとに、お知らせをされたのではないかなと、わたしは考えています(だから、一部の友だちは亡くなった当時に知っていたのだ、と)。
彼女が出版した会社にも、連絡されていなかったみたいです。
わたしが、彼女の死を知ったことをネット上に書いたとき、その投稿をごらんになった編集者さんのほうから「本当ですか?」と問い合わせをいただいたくらいなので。
いわゆる主婦作家って、ご主人も作家業を把握していたり(サポートしてくださったり)という人もあれば、そうじゃない人もある(夫側に理解がない場合も、本人が夫に知られたくない場合もある)。
余談だけど、ご主人が会社員だと、扶養とか税金とかの問題で、ややこしいことが起こったりもするのですよ、うちも一時期たいへんだった…。
彼女のおうちでは、闘病などもあって、仕事のことが共有されていなかったのかもしれません。
わたしの家でも、わたしは家族にいっさい仕事のことを話さないので(夫に知られたくないタイプの実例なので)もしもわたしが急に消えたら、仕事の関係者は誰も、それを知らないままになる……。
連絡しようと思いついても、どこの誰に宛てればいいのか、わからない……。
それに気づいて、反省しまして。
「とりあえず、日本児童文学者協会に電話して」
とは頼んであります(番号はググってください)。
「できれば(添削課題をお預かりしたままの可能性が高いので)公募ガイド社にも」
とも(番号はググってください)。
また、各SNSに入るパスワードなどは書き記してある(わたし自身が忘れたときのために書いてある)ので、そのメモを見つけたら、家族(長女かな?)がそれぞれを閉じたりしてくれるかもしれません。
パソコン自体に関しては、どちらかといえば「積み荷を燃やしてーッ」って気持ち。
そのままハードディスクを破壊してほしいのだけど……どうかな。
・・・
今ふりかえっても、あの当時、あの状況では「その後、どう?」とは聞けなかったと思う。
年賀状を出す習慣が残っていたとしても、あけまして「おめでとう」と書くのはためらったと思う。
でも、こちらの勝手な近況報告くらいしてみればよかった、そうすれば一年も知らずにいることはなかったろうに、とは考えます。
考えてもしかたないけどね。
本当に、いい人だった……でも、出版に関してはご苦心(詳細は秘す)も多かった……。
彼女から聞いたあれこれが、今のわたしの業界内での行動指針の一部になっています。
会いたいです。