このようなことを再度書くのも……と思ったのだけれど、仲間が企画してくれたお別れの会には行けそうにないので(仕事が忙しいときなのです)記事にすることで、わたしなりのお別れをしようと思う。
彼女が多治見を去ってからの話だけれど。
わたしの生活圏内(といっても気軽に行ける距離ではない)のショッピングモールにできた「無印良品」は、その当時、日本一の売り場面積だった(今でもそうかもしれないが、未確認)。
なにしろ(モールの中ではなく)「無印の中」で迷子になるほどなのだ。
そのことを、たぶんtwitterで書いたと思う。
彼女が「またそちらに行くことがあったら、一緒に」というようなメッセージをくれて、わたしはわりと真剣に、
「そのときはどうやって、あのモールまで行こうかな?」
なんて、シミュレートした。
季節によるけど、晴れなら自転車で行けるかな、とかね。
でも、彼女はすでに大阪の人だったから簡単に実現するわけもなく……現在。
先日、久しぶりにその無印に行った。
数か月ぶり、かな?
彼女の訃報を聞いて以来、初めて……ということになる。
店内をぐるぐる歩きながら、「そうか、彼女との無印デートは実現しなかったんだなぁ」と考えた。
会いたい人には会えるときに会っておかなきゃ、と言いたいわけでは……今回に限っては、ない……。
(そう思ったことは、これまでに何度かあるけれど、なぜか今回はそうじゃない)
ただ、いろんなことを思い出す。
占いは古い古い時代にできたものだから、相手に結果を伝える(助言する)ときの言葉は「現代」にアップデートするんだ……という話を、渋谷の街を歩きながら聞いて「なるほど!」と唸ったこととか。
(相手のために表現を変える、というのは童話にも通じると思ったの)
初めて直接会ったとき、わたしを見て「ミワコさん、乙女や」といったこととか(なんでやねん。でも、しばらくそう呼ばれていたよね…)。
彼女や仲間たちと「仕事」をしていたころ、わたしはとても楽しかった。
もう同じことはできないけれど、なつかしく思い出せる(思い出すのがちっともイヤじゃない)日々を持てたことは、本当によかったと思っている。
だから、これからもときどき思い出すつもり……彼女のことを。
無印に行ったときや、多治見の町を走るときに。
思えば、あのころからわたしは「児童文学作家の道」をはずれた……というか、ずっと片足を外に出したままですね。
後悔はない……どころか、決断した当時の自分を誉めたいくらい。
あの日々がなかったら、その後に出会えなかった人、経験できなかったことが数えきれないから……全部、連鎖しているから。
いわゆる「趣味のシリーズ」も書き継ぐことはなかった(これのおかげで、今どんなに楽しいか)。
自身の仕事への影響も。
自分なりの添削講評スタイルができてきたのも、当時、理屈に強い仲間たちにいろんな面で鍛えられたおかげ、と思ってる。
大事にしていきます。