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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

「わたしの占い師」その2

このようなことを再度書くのも……と思ったのだけれど、仲間が企画してくれたお別れの会には行けそうにないので(仕事が忙しいときなのです)記事にすることで、わたしなりのお別れをしようと思う。

gotomiwa.hatenablog.com

彼女が多治見を去ってからの話だけれど。

わたしの生活圏内(といっても気軽に行ける距離ではない)のショッピングモールにできた「無印良品」は、その当時、日本一の売り場面積だった(今でもそうかもしれないが、未確認)。

なにしろ(モールの中ではなく)「無印の中」で迷子になるほどなのだ。

 

そのことを、たぶんtwitterで書いたと思う。

彼女が「またそちらに行くことがあったら、一緒に」というようなメッセージをくれて、わたしはわりと真剣に、

「そのときはどうやって、あのモールまで行こうかな?」

なんて、シミュレートした。

季節によるけど、晴れなら自転車で行けるかな、とかね。

 

でも、彼女はすでに大阪の人だったから簡単に実現するわけもなく……現在。

 

先日、久しぶりにその無印に行った。

数か月ぶり、かな?

彼女の訃報を聞いて以来、初めて……ということになる。

 

店内をぐるぐる歩きながら、「そうか、彼女との無印デートは実現しなかったんだなぁ」と考えた。

 

会いたい人には会えるときに会っておかなきゃ、と言いたいわけでは……今回に限っては、ない……。

(そう思ったことは、これまでに何度かあるけれど、なぜか今回はそうじゃない)

ただ、いろんなことを思い出す。

占いは古い古い時代にできたものだから、相手に結果を伝える(助言する)ときの言葉は「現代」にアップデートするんだ……という話を、渋谷の街を歩きながら聞いて「なるほど!」と唸ったこととか。

(相手のために表現を変える、というのは童話にも通じると思ったの)

初めて直接会ったとき、わたしを見て「ミワコさん、乙女や」といったこととか(なんでやねん。でも、しばらくそう呼ばれていたよね…)。

 

彼女や仲間たちと「仕事」をしていたころ、わたしはとても楽しかった。

もう同じことはできないけれど、なつかしく思い出せる(思い出すのがちっともイヤじゃない)日々を持てたことは、本当によかったと思っている。

だから、これからもときどき思い出すつもり……彼女のことを。

無印に行ったときや、多治見の町を走るときに。

 

思えば、あのころからわたしは「児童文学作家の道」をはずれた……というか、ずっと片足を外に出したままですね。

後悔はない……どころか、決断した当時の自分を誉めたいくらい。

あの日々がなかったら、その後に出会えなかった人、経験できなかったことが数えきれないから……全部、連鎖しているから。

いわゆる「趣味のシリーズ」も書き継ぐことはなかった(これのおかげで、今どんなに楽しいか)。

自身の仕事への影響も。

自分なりの添削講評スタイルができてきたのも、当時、理屈に強い仲間たちにいろんな面で鍛えられたおかげ、と思ってる。

大事にしていきます。